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3月14日、校外学習で、 郷土理解と観光ボランティアを学ぶ一環として、長浜市の「湖北観音の里」を訪れました。それぞれの場所に行って、観光ボランティアの方々から、我々の為に特別のガイドを準備して頂きました。
<日程>JR高月駅集合⇒渡岸寺観音堂見学⇒高月まちづくりセンター(講義)・昼食 ⇒柏原八幡神宮「来光寺」 ⇒ 高月観音堂「大圓寺」 ⇒ 高月駅解散
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AM10:00JR高月駅に集合し、
講師の先生からご挨拶 |
ご詠歌が刻まれた塔 『みな人の 迷いの海は深くとも法の舟にて 渡す岸寺』 |
駅から5分で渡岸寺観音堂に到着。早速一枚記念撮影 |
〇渡岸寺観音堂見学 |
<十一面観音像>
手を伸ばせばと届くような場所で気品あふれる像と向き合える。やや一歩踏み出した天衣の裾が風になびいている。救済のためにこちらへ歩み寄りって来られる瞬間の姿、慈愛に満ちている。
向源寺が戦火によりお堂が消失したが、お堂は住職と門徒たちの手により土中に埋められ難を逃れたと伝わる。 |
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仏像の背面からも像をみることができるのがこの観音堂の特徴である。
後頭部に『暴悪大笑面』
人間の悪行を笑い飛ばし、正しい道へ導いてくれるという。
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同じお堂内に安置されている大日如来座像・阿弥陀如来座像・金剛力士像も山門の仁王像も、最古のものであるが、地方にあったおかげで残った貴重なものである。 |
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渡岸寺(どうがんじ)はお寺の名前でなく地名でした。元々、『向源寺』の本尊であったのが、戦国時代に浄土真宗に改宗した際、観音様を本尊にできない為に、近くに観音堂を立てて安置されました。「渡岸寺観音堂国宝維持保存協賛会」によって管理されています。
明治30年「古社寺て保存法」が制定され、第一回に国宝に指定されています。全国に十一面観音像は数多くある中で、国宝はたったの七体、その中でも、日本彫刻史上の最高傑作と言われるだけあり、こんなに素晴らしい仏像を日常的に拝観できることに感動します。 |
お寺の世話人をこの地域では、「おこないさん」と呼び、今年おこないさんの番に当たった方が説明をされました。当番に当たると、一年間お坊さんと同じように肉、魚類が入らない料理を頂き、観音様をお守りするとのことでした。
このようなしきたりが湖北の信仰を支えてきたのだと改めて心に留めました。 |
次いで高月まちづくりセンターに移動し、案内をしていただいている西嶌先生の講義。湖北の観音信仰や湖北の野神信仰について『観音の里の祈りとくらし』の長浜市制作の動画とともに説明を受けました。
〇湖北の観音信仰について
・昔の日本海側は表日本であり、渡来人の文化や技術の影響や、複数の信仰文化の影響を受けた仏教文化圏であった。己高山は、霊山として奈良時代の僧泰澄により開祖され、この地域に白山信仰・観音信仰が広まった。
・平安時代まで栄えた湖北の寺々は、室町期頃には弱体化し、天台寺院の多くは衰退して無住・廃寺化した。そこに残された尊像たちは、宗派・宗旨の枠を超越して、村の守り本尊として民衆が迎えた。この地域は何度も合戦の場となり、村人たちが観音さまを運び出し、川に沈めて守り抜いた。
・「観音の里」…旧高月町の30余りの集落の内、約8割の集落に観音がおられ、それらのほとんは集落の寺に属さず、自治会住民が管理するお堂に納められている。
〇野神信仰について
湖北に限られた事ではないが、人々は生活するために、かつては鬱蒼と茂る原野を切り開き開拓して来た。そこは野原を支配する神が宿る地であると信じてきた。その神が棲むエリアを奪った畏れの念から「野神」として祀り崇めて来た。樹齢を重ねた大木や石や祠であったりもする。それを高台や神社の境内に置き祀り崇めてきた。高月町では30余集落中、約9割で「野神さん」に五穀豊穣を祈願する神事が行われる。集落毎に、それぞれの方法で斎行され、8月16日
に行われる処が多い。
昼食後、まちづくりセンターから柏原八幡神社に移動し、境内にある昭和館に入り、郷土史を研究されている宮澤 勉先生の講義をお聞きしました。
〇「柏原の巨樹たち」 長浜市高月町柏原 人口297名 |
この地域は、古代から(700年初期)から、「伊香八郷」の一つの『柏原郷』の記録があるが、度重なる戦国時代の戦火により古文書はない。高時川の氾濫により、肥沃な土砂が堆積する農村地帯である |
柏原の「野神のケヤキ(ご神木)」は、上の写真に見られるように、野神にふさわし巨木で滋賀県最大。幹周8.96m、樹高22m、樹齢500年。 |
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この『昭和館』は、広い室内に一本も柱がない立派な建物。昭和4年に天皇が即位された際の「昭和御大典」の建物の一部を頂かれて移築され、この名がある |
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*ケヤキの枝は、高時川の氾濫時、牛のように組んだ木材に並べて濁流から人々を救った
*ケヤキは堅く良質な為、伐採された木が『だんじり祭り』の山車に加工され活躍中。神木の寿命がさらに伸びた |
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ここにあった神木が倒れ、本堂が壊れるのでやむなく伐採。
86歳で矍鑠とお話される先生の健康の秘訣は毎日一合の日本酒だそうです。 |
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〇『柏寿山来迎寺』の「阿弥陀堂」
柏原八幡宮境内の奥に行くと、扁額に『柏寿山来迎寺』の文字。神仏習合の八幡神社に、神宮寺として建てらた、「阿弥陀堂」がありました。
ここでの世話方さんの任期は3年だそうです。掃除から行事の段取りまですべて行い、毎年一人ずつ入れ替わり引き継いでおられる。この柏原の御薬師さんが公開されるのは、観音まつりの日、年一回。その世話人の方が、今日は特別に、我々の『地域ボランティアの学習』の為に、堂内の3つの逗子を全て開けてガイドをして下さいました。長年、お堂をお守り頂いていることに深く感謝し、身近に拝観させて頂きました。 |
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階段下で靴を脱ぐときに、「お堂にお尻を向けてはいけない!」と言われ、皆さん何やらモタモタしています。 そのわけは、堂内に入るとわかりました。
堂内右側の逗子に、江戸時代、村の仲裁をされた京都の林久寺歴代御門跡(天皇家)の御位牌が祀られているからでした。
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正面左側の逗子に「薬師如来立像」
・ヒノキ一本造り、豊かに盛り上がる胸・腹・衣文を刻まず強調する太もも等の作風から平安時代10C~11C前半頃と推定。一千年も守り伝えることができた貴重なものである。
両脇の菩薩像、十二神将は室町から江戸時代に補われたもの。 |
中央の逗子に「阿弥陀如来立像」
神宮寺である阿弥陀堂は、後水尾天皇が造営した「林丘寺」の末寺として栄た。その為、堂内の三逗子扉には、「菊の紋章」を授け授けられている。
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観音の里を長閑に歩き、高月の観音堂へ着きました。
〇「大圓寺」の高月観音堂
この観音様は、戦国の世、近隣の寺院が焼き払われる中、ここの観音様だけ焼けなかった事で「火除けの観音さま」として崇められていて、「火の用心のお札」を頂きました。
寄木造りの「十一面千手観音立像」は、最澄作と伝わるが、技法や表現などから、室町時代の作と考えられている。明治時代の人々が汚れた体を不憫に思い、きれいにお掃除されたので、歴史的な値打ちは落ちたそうだが、心温まる話である。世話人さんが「左から見ると男性の表情、右側は女性的なやさしい表情と見え方がちがうんですよ」と教えてくださり、ゆっくりと対面させて頂きました。
ここはたった檀家が4戸でお守りされている。高月は、観音さまを大切に守り継いでいる人々の、やさしい心にふれるところである。。
幾多の暴風をうけたでしょう |
一千年以上の歴史を刻まれた観音様や阿弥陀様と対峙できた「縁(えにし)」に一同深く感謝致します。 |
樹齢800年のおしどり杉 |
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(講師)大野光男さん、39期琵琶湖環境学科卒、古都おおつボランティアガイドの会 西嶌正美さん、39期地域文化学科卒、奥びわ湖観光ボランティア協会
1.ボランティアガイドとは
2.ボランティアガイドの役割
3.取り組み事例
4.観光ボランティアガイドを実践するにあたってのグループ分けとプラン作り
写真の6グループ、テーマに分けて以下のように進めることになった。
5/2;グループ毎に現地下見→5/16;詳細プラン作り→6/13,20でフィールドワーク、まとめをすることになった。
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午前中「おおつの主な観光ガイド地区」について講義を受けた後、午後から校外学習に出ました
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唐橋下にある、滋賀県青年会館で講義&昼食 |
瀬田川のほとりを唐橋に向かう |
唐橋を越えて石山寺へ |
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天平時代に華厳宗の僧良弁が開山した石山寺 |
山門前で集合写真。
来年(令和6年)の大河ドラマ紫式部ゆかりの地 |
天然の硅灰石の岩。この上に寺院が建てられ、石山の名前の由来となった。 |
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国宝の多宝塔 |
本尊 大日如来坐像を金網越しに拝観 |
躑躅の他、藤なども見頃で”花の寺”と言わることに納得 |
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各チームごとに現地と大学内 |
6月3日実施予定のボランティアガイド実施学習のため、案内場所・コース等について事前調査し、計画書作りのために現地調査を実施した。
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Cチーム 芦浦観音寺 |
Cチーム 花摘寺太子堂 |
Cチーム 印岐志呂神社 |
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午前A,B,Dチームは現地へ
C,E,Fチームは大学内
午後
介護研修室
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午前 A,B,Dチームは現地へ再訪問し、プラン作り、トイレ・休憩等の現地チェック。C,E,Fチームは大学内で行程とガイド案内書作り。.
午後 全員集合(介護研修室)①プラン作り ②各チームリーダーからコース概要報告
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いよいよガイド本番です!
2グループ、6チーム編成で、ガイド先の資料を集め、ガイド日程作成、資料を作り、現地でガイド練習、それをもとにスケジュール
を練り直し等の準備を終え、、6月13日午前・午後と6月20日午前に実践をおこないました。20日午後はその報告会でした。
Aチーム 『中山道・歴史と文化の守山宿巡り』
JR守山駅10:00出発⇒町家うの家⇒石部道道標⇒源内塚(薬師堂)⇒本陣跡・井戸跡⇒10:32中山道街道文化交流館⇒東門院⇒土橋⇒11:10本像寺(木内石庭亭の墓)⇒11:25今宿一里塚⇒十王寺⇒勝部大社⇒JR守山駅12:00解散
資料が多く準備され、ガイド地以外の途中の川や守山宿の道の説明や美味しいコーヒーの店の紹介もありました。
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「すぐ いしべみち」道標とOさんがガイド |
有名な 故宇野宗佑総理大臣の生家とTさんがガイド |
中山道街道文化交流館で記念撮影 |
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比叡山東門院守山寺:朝鮮通信使の宿にもなった |
「今宿一里塚」をガイドしているのは、同名の方です。 |
6月20日報告会…守山は見どころ満載!もっと案内したい! |
Bチーム 『東海道と中山道が出会う「草津宿場町」を歩く』
JR草津駅東口13:00⇒De愛ひろば⇒13:25追分道標⇒草津宿本陣⇒常善寺⇒立木神社⇒14:17太田酒造⇒草津宿街道交流館⇒くさつ夢本陣⇒草津駅解散
時間通りガイドは進みましたが、午後からとても蒸し暑く、太田道灌の客室の涼しい場所でガイドを聞き、そこでお買い物・試飲も加わり、最後をカットされました。
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駅広場で草津市の街の特長から・マンションの高さベスト1の紹介もありました。 |
旧草津川(天井川)跡地。公園広場が誕生。 |
草津本陣(1635年~)今も貴重な宿泊資料が遺る |
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創建 1200余年の立木神社、白鹿の伝説と柿の神木 |
江戸城創建の太田道潅の子孫開業した酒蔵、家系を探る |
休憩させていただいた酒蔵で試飲とお買い物をして解散 |
Cチーム 『古代寺院を巡るツアー』~草津市北西部に突如現れる白鳳の甍跡の謎を紐解く~
芦浦観音廃寺跡9:30集合⇒花摘み寺⇒10:15常教寺&下寺観音堂廃寺跡⇒10:55印岐志呂神社⇒芦浦観音堂 11:30解散
草津市の一地域に7つの白鳳時代の廃寺が集中し、いずれも聖徳太子伝説がある。その建立の謎を皆で考える謎解きツアー。
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これから謎解きツアーが始まります |
花摘み寺には巨大な堂塔を想像する塔心巨石がある… |
下寺観音堂跡からは白鳳期の単弁八葉蓮華文丸瓦も出土。 |
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印岐志呂神社、聖徳太子を匿った伝説にある末裔の方の奉納碑があった。サンヤーレ祭りは5月3日。 |
芦浦観音寺堂、ゴールに戻る。皆さんに謎は解けましたか? |
白鳳寺院の時代背景を共に考えるツアーの試みました。 |
Dチーム 『中山道、守山宿を訪ねて』
JR守山駅西口10:00⇒勝部神社⇒10:30一里塚⇒本蔵寺⇒土橋⇒10:54東門院⇒石造道標⇒11:09中山道街道文化交流館⇒石部道道標⇒守山駅解散。往復3km、滞在43分。
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勝部神社:ガイドの皮切りは地元住民Mさん |
「県下に唯一残る一里塚」と手を「榎」に差し向けてガイドするMrs.Nさん |
本像寺:お寺は宗教に造詣の深い.Nさんが適役 |
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土橋:「今宿と本宿守山の境の吉川にかかる幕府の命によってつくられた橋です」とガイド。 |
「ありきたりの観光歴史ガイドはしない!」と法華宗について語るMr.Nさん…この風景はガイドでなく「講義」ですね。 |
報告会:一人ずつうまくガイドできたと感想を述べられました |
Eチーム 『膳所城下と旧東海道』
京阪膳所駅13:00 ⇒大津口総門跡(防塁跡)⇒13:30饗忍(こうにん)寺・和田神社⇒13:50北大手門⇒丸の内・中大手門⇒14:10膳所神社⇒大養寺・南大手門跡⇒篠津神社⇒勢多口総門跡⇒京阪粟津駅
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古地図を元に膳所城下町を歩く |
スタートは リーダーからのご挨拶です。その後、古地図の説明。 |
街道筋で、個人のお庭の遺っている船着き場を案内して
いただくという、幸運な出来事に遭遇しました。 |
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船のロープを繋いでいた石、くぼみがリアル! |
六体地蔵堂、膳所城廃城の「お椀櫓」を移築している |
膳所神社にて、鳥居の奥に旧膳所城移築した門が見える。 |
Fチーム 『大津城址と大津百町を訪ねる』~幻の大津城の数少ない遺跡の東海道有数の宿場街を訪ねる~
JR大津駅9:50⇒10:10大津宿本陣跡⇒札の辻⇒10:37百川/柴屋町(花街)⇒木村家住宅⇒10:59外堀石垣(曳山展示館)⇒大津城石垣(旧坂本町)⇒11:35大津城跡・スカイプラザ浜大津、解散11:55
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一般向きな案内チラシも作成 |
大津宿本陣跡:江戸時代は京への玄関口、3つの本陣があったそうである |
大津の町家・木村家<国の有形文化財>虫籠窓(むしくまど)が特徴 |
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数少ない遺構のひとつ、外堀石垣をガイドする |
大津城跡&スカイプラザ浜大津にある大津城模型でその歴史をガイド |
6つの報告の後、講師の先生方から感想が述べられました。観光ボランティアとして現役で活躍中の中、お世話になりました |
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