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(2022年3月1日 校外学習)
西本梛枝先生の第一回目の講義で、獅子文六『但馬太郎治伝』を学びました。
但馬太郎治こと薩摩次郎八が大富豪になったのは、彼の祖父の働きによるもので、その薩摩治兵衛の故郷は豊郷町は、
江戸期以来の幾多の「近江商人」を輩出した地でありました
『先人を偲ぶ館』と『薩摩治兵衛記念館』から先人の偉業を学び、
現在に残る「旧豊郷小学校群』及び『伊藤忠兵衛の旧宅』を見学しました。
○○が日本二の近江鉄道<なんと①>運賃は近江八幡⇒豊郷760円! 懐かしい穴あき切符! |
豊郷駅前で、”全員出席”の記念撮影<なんと②>講師の西本先生は神戸から 集合の1時間も前に着き、 学生を出迎えて下さいました。 |
いざ出発‼ 中山道を行く~
<なんと③> |
豊郷駅から、歩くこと15分!
『先人を偲ぶ館』 先人たちの夢を語り継ごう 豊郷町は、旧中山道が南北に貫いている。情報と文化が交差する地理的条件に培われたこの地から多くの人物が、明治、大正、昭和にかけて近江商人として都市に進出し実業界に飛躍し、名声を四方に馳せた。 北海道廻船業「あけぼの缶詰」の祖藤野喜兵衛, 豪商「木綿王」の薩摩治兵衛, 伊藤忠商事&丸紅の伊藤長兵衛・伊藤忠兵衛・古川鉄次郎, 青山商店の青山仙右衛門, 呉服店近江屋の堤辰二郎…… また生涯を郷土に終始し、自治・農業の発展・文化の向上など村つくり人つくりに貢献した人々…元持鶴松・古川宗哲・北川嘉平・藤野宗次郎・村岸峯吉・西澤喜三郎… *幾多の先人達は、郷土を忘れることなく郷土に尽くし、その精神が、また次の時代へと受け継がれて、豊かな故郷=豊郷を育んできたことが感じ取れました。 (当館展示、「はじめに」より一部抜粋) |
『薩摩治兵衛記念館』 <豊郷小学校の変遷と郷土の偉人 > 明治6年「成文小学校」 右写真の寺 明治20年「尋常科至塾小学校」落成 明治25年3つの小学校が統合されて「豊郷尋常小学校」に改称 薩摩治兵衛は至塾小学校建設や明治41年小学校前道路拡張費用等に多額の寄付をした。 昭和12年、旧豊郷小学校が新築・移転。この一代目「豊郷小学校」は、学校建築に関わる貢献度から「薩摩治兵衛記念館」として保存されることになった。 治兵衛は極貧から一代で金巾で巨額の富を築いた。 *展示品の中に、寄付を受けた知事から下贈された木杯が幾つも並び、故郷への慈愛が窺えました。その木箱の墨書に「東京市神田区北甲賀町」と治兵衛の住所が記され、小説の中でも、駿河台に広大な屋敷を構えていたと書かれていたことを思い出しました。 また、孫の治郎八(小説モデル)は、治兵衛の築いた財産でパリに長く住み、日本学生館(現存)を建てました。その業績が称えられ、「パリ政府から授与された勲章」の実物も見る事ができました |
『唯念寺』ここから小学校はじまる 右の2つの館の前方に広大な境内地の立派なお寺がある。行基が奈良時代に創建した。 明治5年に学制が公布され、豊郷町に初めての小学校である「成文学校」がこの寺に設置された <二代目豊郷小学校> <木杯> |
2. 『豊郷小学校旧校舎群』の見学
次の見学地 第二代の「豊郷小学校」も「近江商人」と大きく関わりがあり、その歴史を学びました。
広い敷地と立派な校舎を3人のボランティアさんに案内していただきましたが、その一人にレイカディア大学の卒業生がおられ、
我々の仲間が卒業後に活躍する姿とイメージと重なりました。
とにかく校舎は素晴らしく、校庭の古川鉄次郎氏(銅像)は、この小学校の児童に、多くの勇気と希望を与えてきただろうと思います。
校舎模型 |
近江商人がつくった『白亜の教育殿堂』 昭和12年5月、豊郷は喜びと感激で湧き上がっていた。 古川鉄次郎は母校に、私財の3分の2に相当する60万円、これは当時の村予算の十年分を寄贈した。 設計は、洋風建築では名を馳せた、ウィリアム・メレル・ヴォーリス 建設・施行は竹中工務店 校庭の設計は戸野琢磨→日本初のラウンドスケープアーキスト その施行は五箇荘の”花文造園” 一流の匠が結実して、「東洋一の小学校」が完成! 70年が過ぎて 「解体」か「耐震補強」か、行政と町民が二分する 2004年に第三代の「豊郷小学校」新築 住民達の「校舎存続」の要求により、法的に「解体」は避けられ 2009年、旧校舎は原型に近い形に復元・保存する 町の交流施設として恒久的に活用できるように 「豊郷小学校旧校舎群」として生まれ変わる |
鉄次郎氏は小学校のころ、何をするのも遅くていじめられ子で、先生に寓話『ウサギとカメ』を示して励まされ、コツコツ努力した。その話しに感動を受けたヴォーリスが、階段手すりに、そのエピソードを盛り込んだという。 |
古川鉄次郎は「必要なものは、どれだけ費用がかかっても構わない」と…。 敷地12000坪、 直線100m走れる広いグランド テニスコートあり、プールあり 講堂あり。 別棟の図書館あり。 郷土の実践教育の為、敷地内に水田もあり 白鷺が羽を広げたような洋風建築 <子供達への思いの詰まった先進的な設備> 全館スチーム暖房… 弁当を温める台まであり。 水洗トイレ・内線電話 中学校のような充実した特別教室(3階) 幅広い木製張り廊下は温かい |
古川鉄次郎 銅像
「国運の進展は、国民教育の進行にある」と考え鉄次郎は、老朽化した母校の移転新築を提案し、私財を投じて、完成させた。 |
<校舎内も、設計者の子供達への思いが、伝わってくる…>
音楽室 アニメ「けいおん」の聖地 イラストの書き込み自由に |
鉄次郎の弟義三の 寄贈した建築木材 |
ドアが開く時の黄色の安全ライン |
廊下に校内電話 |
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↑イギリス産「揚水ポンプ」。日本初の地下水灌漑事業を成し遂げた北川・村岸の功績 これで地下水を汲み上げ全館隅々にスチーム式暖房。 また。ガス設備もあった |
手すりのウサギとカメの真鍮像は滑り防止にも |
廊下の窓 上部は教室側に、 下部は廊下側に開く |
講堂:!Fは傾斜席で 2F席もあり コンサートにも活用 |
上下一列が一人分 引き出し式でお掃除 ラクラク |
旧豊郷小学校群の見学を終えたころ、雨が降ってきた。急ぎ足で昼食会場のお店『三羽鶴』へ。
コロナ禍の為、お弁当となりましたが、会席料理のお店らしく大広間で、ゆったりといただきました。
「おいしかったわ~」と一同、満足&満腹で、いざ午後の見学地へ。
3. 『伊藤忠兵衛記念館』の見学
記念館は、大手商社「丸紅」「伊藤忠商事」の創始者初代伊藤忠兵衛の本家を開放したものです。
明治15年に建てられた伊藤家が生活していた頃がそのままに残されていて、近江商人の活況な暮らしぶりを偲ぶことができました。
近江商人の筆頭 初代、伊藤忠兵衛 1842~1903 |
本家における活躍 八重夫人 1849~1952 |
「総合商社」の基盤築いた 二代目忠兵衛 1886~1973 |
1842年(天保3)繊維品の小売業を営む「紅長(べんちょう)」の家に生まれた。 15才で近江麻布を持ち下る商売をし、長崎で、「開国後の我が国は貿易の拡大によって開かねばならない」と思い、その信念を貫いた。 明治5年に大阪に繊維問屋「紅忠」を開き、「社内会議制度」や「本家・店・店員の利益三分主義」「貿易業の進出」など革新的な経営を行った。 61歳で永眠するまで、十数社の事業に関係しながら豊郷町の村長も務めるなど、郷土人からも愛された。 |
大阪店の大勢の店員が使用する物をまかなう本家の家事は膨大でした。…米やたばこの選定、味噌や梅干しの漬け込み、布団の仕立て直し、盆・正月の着物の仕立て等。 しかし内助の功だけでなく仕事のパートナーとして大事な仕事もまかされていた。近江麻布の仕入から発送を管理。数万反の麻布を一日発送する時は、朝3時起きで、一手に取り仕切っていた。 |
1903年(明36)、17才で父亡き後、二代目の家督を譲らると、母八重に、丁稚小僧からたたき上げることを言い渡され、5年間地方回りで下積みした。 1909年(明42)にイギリに留学。、留学中もフランス・ドイツから織物を輸入し、韓国に輸出する等して 「総合商社」の原点をつくる。 帰国後は、海外の営業拠点作りに奔走した アメリカから紡績機を輸入して事業を拡大していく |
尚、従業員は大半は江州人を採用した。 <彼の言葉> ◎三惚れ主義 在所に惚れよ 仕事に惚れよ 女房に惚れよ ◎商売は菩薩の業(わざ) 商売道の尊さは売り買い益し、世の不足をうずめ、御仏の心に かなうもの 「三方よし」の精神 |
さらに、最も重要な仕事は、社員教育担当であった。採用された見習いは、まず本家で一か月、八重夫人が店員としての行儀作法やそろばん等必要な教育を施した。その過程で性格・能力や適性を見極め人事の進言もした。また、入店後に問題を起こすと、本家に戻され、再教育を行った。 このような激務の日々を乗り越え、103才まで長寿であった。99才に書かれた墨書が飾られていたが、強健そうな筆使いであった。 付記:古川鉄次郎は、八重夫人の妹の子(甥)である。 |
1914年(大3)伊藤忠合名会社設立。 (大7)伊藤忠商事株式会社設立。 年給から月給へ 1921年(大10)伊藤忠商事と伊藤長兵衛商店が 合体して丸紅商店」が設立される 1929年(昭4)呉羽紡績設立 1949年(昭24)伊藤忠商事・丸紅・呉羽紡績 尼崎製釘釘所の四社設立。 1952年(昭27)アメリカ会社設立 1967年(昭42)東京本社・大阪本社2本制など発展 付記①1927年7代目長兵衛、豊郷病院設立 付記②孫娘が河野洋平(政治家)と結婚。 |
本家記念館に入る |
歴史やエピソードを聞く |
仲間〇さんは、高校時代に 大先輩である忠兵衛さんの 御講演を聞かれたそうです。 |