日時 |
講師(敬称略) |
テーマ |
内容 |
5月10日
AM |
滋賀県文化スポーツ部文化財保護課
松下浩 |
明智光秀とその生涯 |
・中世の坂本の歴史:当時の坂本の政治的(王法仏法相依)、経済的、地理的な立ち位置を確認。 12,13代の足利将軍が坂本に滞在した背景にもなった ・比叡山焼き討ちについては、遺跡の検証から焼き討ちは広大な地区に広がったが、比叡山はそれほど酷くなく、坂本の方がより酷かった。
・当時の坂本城が分かる資料は殆どない。
・縄張りの推定も旧道の位置から行い、江戸時代では一般的な三の丸、二の丸、本丸からなるものではなく、本丸の周りを惣構で囲うものではないものではないか。
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5月10日
PM |
滋賀県文化スポーツ部文化財保護課
井上優 |
明智光秀は近江で生まれた? |
・西教寺に遺されている戦死者供養米寄進文書から人物像を紹介。
・光秀ゆかりの寺の西教寺では明智一族の墓があることを紹介され、聖衆来迎寺では光秀が建てた坂本城の門を移築したという表門の調査結果を紹介。
・光秀が多賀町佐目生まれと記した古文書「淡海温故録(おうみおんころく)」を紹介
・淡海温故録は、近江の中世の土豪や社寺などをまとめた地誌で、江戸初期の貞享年間(1684~1688年)に編さんされた。光秀の父明智十左衛門は、美濃から離反してきて現在の多賀町佐目に住み、ここで生まれた光秀は越前の朝倉家に仕官。本能寺の変では、他地域の武士が加勢を拒む中、多賀の武士が光秀に味方したなどの記述がある。
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5月24日
AM
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滋賀県文化スポーツ部文化財保護課
建造物係職員
長谷川先生 |
坂本の史跡を訪ねる「西教寺」 |
・西教寺山門に集合。
・本坊から西教寺本堂に向かう。
・後鐘楼の説明を受け、本堂の中で建物の歴史や作りついて説明を受ける。
・地震で倒壊した伏見城から移築されたという重要文化財の客殿に移動。。
・明智光秀の生涯、光秀が本堅田の戦いで戦死した部下を弔うために米を寄進した寄進状を確認する。
・最後に宗祖大師殿からの眺めは楽しむ。 |
5月24日
PM |
滋賀県文化スポーツ部文化財保護課
建造物係職員
清水先生
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坂本の史跡を訪ねる「日吉大社」
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・昼食は鶴喜そば店。
・午後は日吉大社を訪ねる。
・山王鳥居から西本宮に向かう。
・まず最初に日吉大社西本宮楼門の説明を受ける。
・その後、西本宮の本殿の特徴、宇佐宮、白山宮の説明を受け、東本宮に向う。
・東本宮エリアでは、樹下宮、東本宮の建物の説明を聞き、東本宮正面と樹下宮正面の方向が違っていることに謎を感じた。 |
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