選択科目のページです。講師の先生毎にページがあります。
(他の授業へのリンクは以下)
日時 | テーマ | 内容 | ||||||||||||||||||||||||
9月 13日AM |
県埋蔵文化財センターの見学 |
滋賀県文化財保護協会主催で「滋賀をてらした珠玉の逸品たち」 ~スコップと歩んだ発掘50年史~が開催中でした。 毎年の発掘成果の中から一点ずつを選んばれているだけに、計50点、どれも逸品ぞろいでした。 今日からご指導頂く中井均先生もご一緒で、今年の速報展示「『佐和山城の外堀跡 初確認』と『出庭遺跡で鍛冶工房群』については説明していただきました。
展示見学の後は、館内の発掘調査の舞台裏を職員の方に案内していただきました。。 土木工事が行われる時に、【発掘調査】が行われ、見つかった遺物は、この館内で【整理調査】され、【発掘調査報告】にまとめられます。 倉庫にはコンテナに整理された莫大な数の埋蔵物棚、その一つ一つの歴史を辿る作業です。 <復元>泥を洗い流した破片を写真を見ながら接合する、気が遠くなるような根気のいる作業をしておられました。⇒ <実測>手作業で実測し図化する ⇒<文字・画像化して報告書作成> 全国からの報告書も書庫棚にギッシリ集まっていて、一般閲覧もできるそうです。 |
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9月 13日PM |
『近江の埋蔵文化事情』 |
今日から 中・近世城郭の全国屈指の考古学者、中井均先生の講義を受けることになりました。 『戦国の城と石垣』『信長と家臣団の城』『歴史家の城歩き』など著書も多数、そんな著名な先生の講義を7回受けることができるとは、ラッキーこの上ありません。 ・まず、自己紹介を… 大阪出身、67歳。小学校5年生から、お城に興味を持ち始めてから今に至るまで考古学一筋。大学4年間も京都の発掘調査地をキャンパスとして過ごされ、文化財保護協会に就職。長浜城歴史館長、滋賀県立大学教授を歴任され、今は名誉教授となられています。 午前中の見学と関連しながら埋蔵文化について、興味深いお話をされました。 ・「考古学」は時代を選ばない。旧石器時代から現代まで人間が「もの」で歴史を調べる。文字の「文献史学」との違い。 ・土器にも流行があり、20~30年で形が変わる=「人間は流行に左右される」…考古学でこんな言葉は新鮮! ・墓・ゴミ穴が大事。発掘したら、その場所・地層が大事、調査まで取り出してはダメ! ・「埋蔵文化財」とは、文化財保護法に基づく行政使用語で、それを学術用語で「遺跡」という 。 ・遺跡の場所と管轄、個人住宅や国の土地⇒国の補助金、 それ以外は土地所有の自治体。国宝級以外は発掘後、工事続行。⇒遺跡保存と街の発展の共存。 ・考古学の時代名…旧石器→縄文(土器)→弥生(稲作・環濠集落)→古墳(集落→国=前方後円古墳)、律令国家になると、都が時代名になる。 ⁂「知ってるようで、知らない」豆知識と先生の話術に引き込まれました。次回から、いよいよ{お城}です。 |
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9月 20日PM |
『湖国の戦国史と城郭』 |
◆はじめに ・お城の魅力=戦国時代を体験しよう! ・お城は天守閣を見学するのでなく、土木施設を見るべき!⇒曲輪(くるわ・郭):石垣、切岸、土塁、堀切等の区画 ・県民自慢⇒県内には1,300カ所の城館跡があり、近江は「城の国」である。 ◆甲賀の城◆ ・戦国時代は、身分制「縦社会」であるが、甲賀は「横社会」=民主主義であった。⇒甲賀郡中惣【同名中】を組織する。 ・約248カ所も分布する…一村一城=一辺50m以内の方形、周囲には高さは8mの大土塁の遺跡が遺る:*甲賀郡 中惣遺跡群 ◆観音寺城◆…戦国最大の城、その謎 ・観音正寺は標高432mの繖山の南部370m付近に位置する(605年創建)。聖地全域に築いた巨大山城=近江佐々木六角氏 ・直進する城通など戦国時代の他とは違う⇒従来の寺を利用したものか?…寺(信仰)が城を守り、守護勢力が寺院を護ってくれる。 ・日本最古級の石垣(安土城の20年前)…お堂や石塔を立てる寺の石工技術の活用。鏨で割った『矢穴』があるのが特徴。 👀見学のポイント:石積と石垣の違い…裏止めに「ぐり石」がある(石垣)か、無い(石積)か! 表の石に「矢穴」を見つけよう! ◆小谷城◆ ・標高495.1mの小谷山に戦国大名浅井亮政が独立宣言、浅井家三代の居城。 ・大規模な三元構造⇒①清水谷(山麓…公的屋敷) ②本丸・大広間(私的屋敷)③大嶽おおずく(山頂詰城)④貯水池(長期篭城) ②の発掘調査から礎石建物と37,000点の出土遺物…お市の方や三姉妹が暮らしていた事に思いを馳せると城学が楽しくなる 👀オドロキ 出土の96%はカワラケの莫大な数、当時は「使い捨て」だったから! ◆近江の山城から安土城への道 ・水茎岡山城址(1508年)⇒日本最古の石垣か?(安土城より68年前) ・鎌刃城址・小川城址⇒半地下式構造の礎石建物【後の天守の穴蔵】しかし未だ、瓦は用いられなかった!!(先進性と限界) ◆城を攻めるために築いた城 城の入り口(虎ノ門)に、防衛・敵を誘い込むための小曲輪=馬出(うまだし)があった。 ・井元城址(東近江市)には、二重の曲輪【重ね馬出】や【兵の駐屯地】 ・土山城址にも、馬出を発見 ◆安土城◆ 築城:天正4年(1576)~7年完成。3年後に焼失。 ・織田信長の城郭革命⇒土の城(軍事施設)から石の城へ(軍事+政庁)へ ・統一政権の象徴として『見せる城』の誕生、信長の居城。 ①高石垣…小牧城・岐阜城の巨石技術=「算木積み」…威圧感あり ②金箔瓦…凹んだ所に金箔を施す高技術 ③天守…【五重七階・地下一階】、絵画:狩野永徳ら ◆彦根城◆ 戦国の到達点の城で全てが揃っている ・近江の近世城郭<膳所城・長浜城・彦根城>は天下譜請…戦国の1,300城が3城に淘汰。 ・縄張りは早川弥惣左衛門【甲州流軍学による築城】 〇山頂部の本丸他と山麓部の表御殿【戦国の二元的構造】 〇彦根山を切断する堀切 〇彦根山裾を削った【山切岸】 〇様々な作事による防御⇒頭上から監視・攻撃できる櫓 ・天守は居住施設ではなく、外観の格式重視 ◆おわりに ・近江の城を語らずして、日本の城は語れず ・滋賀県には国指定史跡の城が11個もある、2つの特別史跡(彦根・安土)と9つの国指定史跡 *本日たった一日の講義で、湖国の戦国史と城郭を一気に深堀された。期待が高まるばかり、「近江の城、実に面白い」の一言です。 |
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村雨城 新宮城・新宮支城 水口城 |
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11月01日 |
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12月13日 | ・お城のフィールドワークも彦根城(国宝)が最終回です。 ・彦根城と言えば、「天守閣」と「お堀と桜」、そして近頃では「ひこにゃん」ですね。 ・しかし、これまでの授業で学んできた、護る城・威厳の城・居住の城に【光】をあて、その一つ一つの要素を、中井先生の解説を受けながら【観】ると、まさに『戦国時代の総まとめの城』であるが事が見て取れました。特に登り石垣と堀切りが圧巻でした。 ☆彡画像をクリックして拡大して見て下さい☆彡
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*今から400年以上も前に、20年の歳月を費やして築城されたが、一度も戦いをしていない名誉な城。 *工期短縮のために、小谷城・大津城や佐和山城など材料を再利用しているから、さらに以前の戦国の歴史を重ねている。 *戦後、廃城を免れた2つの奇跡、①明治6年、明治天皇御幸があり、同行の大隈重信が消失を惜しみ、天皇に保存を申し入れ、皇室付属地となった。 ②連合軍が夜間襲撃する予定の8月15日正午に終戦となった *様々な歴史をくぐり抜けた、人々の力の結集財産=城郭と景観を永く遺して欲しいと思います。 |
中井均先生の講義は、残念ながら、これで終了です。今後も、先生は各地で活躍されているので、先生のフォーラムなどに是非参加していきたいと思います。