43期地域文化学科 選択科目ー5(2022年9-12月) 近江の城郭、講師;中井均先生    学習内容ページへ   TOPページへ
   

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 必修科目-1(2021年10月~2022年3月)  選択科目-1 民俗学、講師;粕渕宏昭先生(2021年10月~2022年1月)  発表会ー1(2021年12月14日)
 必修科目-2(2022年4月~2022年9月)  選択科目-2 近江の文学、講師;西本梛枝先生(2022年2月~4月)  発表会-2(2022年4月21日)
 必修科目-3(2022年10月~2023年3月)  選択科目-3 明智光秀とその生涯、坂本の史跡を訪ねる(2022年5月)  発表会-3(2023年2月13日)
 必修科目-4(2023年4月~2023年9月)  選択科目-4 近江聖徳太子伝承の背景を探る、講師;山本一博先生(2022年6-8月)  
   選択科目-5 近江の城郭、講師;中井均先生(2022年9-12月)  
   選択科目-6 地域コミュニケーション論、講師;上田洋平先生(2023年1,2月)  
   選択科目-7 郷土理解と観光ボランティア,講師;西嶌さん、大野さん(2023年3-6月)  
   選択科目-8 郷土の食文化・郷土料理づくり,講師;清水満里子先生(2023年7月4日)  
   選択科目-9 まちづくり講座,講師;森川稔先生(2023年7、8月)  
 日時 テーマ  内容 
 9月
13日AM

 県埋蔵文化財センターの見学
 滋賀県文化財保護協会主催で「滋賀をてらした珠玉の逸品たち」
     ~スコップと歩んだ発掘50年史~が開催中でした。
毎年の発掘成果の中から一点ずつを選んばれているだけに、計50点、どれも逸品ぞろいでした。
今日からご指導頂く中井均先生もご一緒で、今年の速報展示「『佐和山城の外堀跡 初確認』と『出庭遺跡で鍛冶工房群』については説明していただきました。

相谷熊原土偶:国内最古級、親指サイズで一番人気

にこちゃん土偶
大津市粟津湖底遺跡

金銅製単龍環頭大刀
約1500年前副埋葬品

 双環柄頭短剣鋳型
高島市、国内初の銅剣鋳型

土抗・滋賀里遺跡

魚形水滴:墨を摺る際に使用
貴生川の城館遺跡井戸の中から

展示見学の後は、館内の発掘調査の舞台裏を職員の方に案内していただきました。。
 土木工事が行われる時に、【発掘調査】が行われ、見つかった遺物は、この館内で【整理調査】され、【発掘調査報告】にまとめられます。
 倉庫にはコンテナに整理された莫大な数の埋蔵物棚、その一つ一つの歴史を辿る作業です。
 <復元>泥を洗い流した破片を写真を見ながら接合する、気が遠くなるような根気のいる作業をしておられました。⇒ <実測>手作業で実測し図化する ⇒<文字・画像化して報告書作成>  全国からの報告書も書庫棚にギッシリ集まっていて、一般閲覧もできるそうです。
   
  *文化ゾーンの図書館や美術館に来る時に、この建物の前を通り過ぎるだけでしたが、こんなに貴重な宝庫だったとは、驚きでした。
 9月
13日PM
『近江の埋蔵文化事情』  
  
埋蔵センターの速報展示を中井先生が解説↑
 
書籍を事前準備して、サインをお願いする↑
 
今日から 中・近世城郭の全国屈指の考古学者、中井均先生の講義を受けることになりました。
『戦国の城と石垣』『信長と家臣団の城』『歴史家の城歩き』など著書も多数、そんな著名な先生の講義を7回受けることができるとは、ラッキーこの上ありません。
・まず、自己紹介を…
大阪出身、67歳。小学校5年生から、お城に興味を持ち始めてから今に至るまで考古学一筋。大学4年間も京都の発掘調査地をキャンパスとして過ごされ、文化財保護協会に就職。長浜城歴史館長、滋賀県立大学教授を歴任され、今は名誉教授となられています。

午前中の見学と関連しながら埋蔵文化について、興味深いお話をされました。
・「考古学」は時代を選ばない。旧石器時代から現代まで人間が「もの」で歴史を調べる。文字の「文献史学」との違い。
・土器にも流行があり、20~30年で形が変わる=「人間は流行に左右される」…考古学でこんな言葉は新鮮!
・墓・ゴミ穴が大事。発掘したら、その場所・地層が大事、調査まで取り出してはダメ!
・「埋蔵文化財」とは、文化財保護法に基づく行政使用語で、それを学術用語で「遺跡」という 。
・遺跡の場所と管轄、個人住宅や国の土地⇒国の補助金、 それ以外は土地所有の自治体。国宝級以外は発掘後、工事続行。⇒遺跡保存と街の発展の共存。
・考古学の時代名…旧石器→縄文(土器)→弥生(稲作・環濠集落)→古墳(集落→国=前方後円古墳)、律令国家になると、都が時代名になる。
⁂「知ってるようで、知らない」豆知識と先生の話術に引き込まれました。次回から、いよいよ{お城}です。
9月
20日PM
『湖国の戦国史と城郭』
 
  ◆はじめに
 ・お城の魅力=戦国時代を体験しよう!
 お城は天守閣を見学するのでなく、土木施設を見るべき!⇒曲輪(くるわ・郭):石垣、切岸、土塁、堀切等の区画
県民自慢⇒県内には1,300カ所の城館跡があり、近江は「城の国」である。

甲賀の城
 ・戦国時代は、身分制「縦社会」であるが、甲賀は「横社会」=民主主義であった。⇒甲賀郡中惣【同名中】を組織する。
 ・約248カ所も分布する…一村一城=一辺50m以内の方形、周囲には高さは8mの大土塁の遺跡が遺る:*甲賀郡 中惣遺跡群 
観音寺城◆…戦国最大の城、その謎
 ・観音正寺は標高432mの繖山の南部370m付近に位置する(605年創建)。聖地全域に築いた巨大山城=近江佐々木六角氏
 ・直進する城通など戦国時代の他とは違う⇒従来の寺を利用したものか?…寺(信仰)が城を守り、守護勢力が寺院を護ってくれる。
 ・日本最古級の石垣(安土城の20年前)…お堂や石塔を立てる寺の石工技術の活用鏨で割った『矢穴』があるのが特徴。
👀見学のポイント:石積と石垣の違い…裏止めに「ぐり石」がある(石垣)か、無い(石積)か!
     表の石に「矢穴」を見つけよう!

小谷城
・標高495.1mの小谷山に戦国大名浅井亮政が独立宣言、浅井家三代の居城。
・大規模な三元構造⇒①清水谷(山麓…公的屋敷) ②本丸・大広間(私的屋敷)③大嶽おおずく(山頂詰城)④貯水池(長期篭城)
 ②の発掘調査から礎石建物と37,000点の出土遺物…お市の方や三姉妹が暮らしていた事に思いを馳せると城学が楽しくなる 
👀オドロキ 出土の96%はカワラケの莫大な数、当時は「使い捨て」だったから!
 
近江の山城から安土城への道
・水茎岡山城址(1508年)⇒日本最古の石垣か?(安土城より68年前)
・鎌刃城址・小川城址⇒半地下式構造の礎石建物【後の天守の穴蔵】しかし未だ、瓦は用いられなかった!!(先進性と限界)

城を攻めるために築いた城
  城の入り口(虎ノ門)に、防衛・敵を誘い込むための小曲輪=馬出(うまだし)があった。
 ・井元城址(東近江市)には、二重の曲輪【重ね馬出】や【兵の駐屯地】
 ・土山城址にも、馬出を発見 

安土城◆ 築城:天正4年(1576)~7年完成。3年後に焼失。
 ・織田信長の城郭革命⇒土の城(軍事施設)から石の城へ(軍事+政庁)へ
 ・統一政権の象徴として『見せる城』の誕生、信長の居城。
    ①高石垣…小牧城・岐阜城の巨石技術=「算木積み」…威圧感あり
    ②金箔瓦…凹んだ所に金箔を施す高技術
    ③天守…【五重七階・地下一階】、絵画:狩野永徳ら
 
彦根城◆ 戦国の到達点の城で全てが揃っている
 ・近江の近世城郭<膳所城・長浜城・彦根城>は天下譜請…戦国の1,300城が3城に淘汰。
 ・縄張りは早川弥惣左衛門【甲州流軍学による築城】
  〇山頂部の本丸他と山麓部の表御殿【戦国の二元的構造】
  〇彦根山を切断する堀切 〇彦根山裾を削った【山切岸】
  〇様々な作事による防御⇒頭上から監視・攻撃できる櫓
 ・天守は居住施設ではなく、外観の格式重視

◆おわりに
 ・近江の城を語らずして、日本の城は語れず
 ・滋賀県には国指定史跡の城が11個もある、2つの特別史跡(彦根・安土)と9つの国指定史跡
 *本日たった一日の講義で、湖国の戦国史と城郭を一気に深堀された。期待が高まるばかり、「近江の城、実に面白い」の一言です。  
10月13日  小谷城 

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番所にある鳥瞰図と熊出没注意の看板。熊避け用の鈴を付けるも、皆さん騒がしいので不要? 番所横の金吾丸(朝倉家のための曲輪)
曲輪と同じお名前のクラスの方
琵琶湖と竹生島が直ぐ近くに、手前右は山本山城
 中井先生のディープすぎる解説。この話を聞きたくてレイ大に入った方も?   馬洗い池、でも馬はここまで登れない   先生と裏切り者の首を据えた首据石
     
赤穂屋敷で浅井長政は自刃した  大広間の礎石、普段の浅井家の居住区? 大広間で記念撮影。背後が曲輪を防ぐ土塁
     
 小谷城の誇る大堀切 中丸からさらに急坂を登る 。登山用ステッキが有効 戦国時代には稀な大石垣 
10月25日 甲賀の城

村雨城
新宮城・新宮支城
水口城
 
     
 村雨城、車道横の裏山を登ると立派な城がある。ウラヤマしい!  土塁の高さが10m以上ある 土塁上から曲輪を見下ろす 
     
 新宮城の曲輪、背後の土塁の高さを体感  虎口  土塁の上で解説してもらう
     
 水口城、現存する土塁  掘にかかる橋、橋向こうの本丸は高校に  水口城の水堀の一部
11月01日  安土城   
●11月1日の校外学習は、小雨から本格的雨。
●大手道を上がり、伝羽柴秀吉邸の厩跡で中井先生の話をお聞きしました。信長の屋敷跡と見るのが正しいと思われるとのことでした。
●伝前田利家邸とされているところに建っている総見寺は、信長が安土城築城の際に建立したお寺で、現在の位置は江戸末期に焼失した時に建て直したもの。
●黒金門跡の周りの石垣には権威を象徴する大きな石が使われていました。
●天主跡では、天主台の礎石が多く残っていました。
●見寺本堂跡からの眺望も良いのですが、雨の為十分見えませんでした。
●摠見寺跡には、仁王門、三重塔が今も残ります。」
●百百橋を渡って城下町跡へ。
●新宮神社へ。
●地名からセミナリオ跡とされている所へ。
     
 大手道の前で説明  大手道を上る  発掘調査でわかった建物の跡
     
 大手道をさらに上る  天主台  摠見寺(そうけんじ)で説明
     
 集団写真  新宮神社で説明  
12月13日 彦根城 

・お城のフィールドワークも彦根城(国宝)が最終回です。
・彦根城と言えば、「天守閣」と「お堀と桜」、そして近頃では「ひこにゃん」ですね。
・しかし、これまでの授業で学んできた、護る城・威厳の城・居住の城に【光】をあて、その一つ一つの要素を、中井先生の解説を受けながら【観】ると、まさに『戦国時代の総まとめの城』であるが事が見て取れました。特に登り石垣と堀切りが圧巻でした。
☆彡画像をクリックして拡大して見て下さい☆彡


登り石垣


佐和山城からの移築石垣の発見


鐘の丸虎口石垣


西の丸水手御門虎口石垣


天秤櫓の見どころ

天守閣
    
     
中井先生が今日の予定についてお話される  山切岸…彦根山の裾の岩を削った  長い階段で敵軍を誘導
     
 大堀切の左右からと 橋からの 三方から撃退  橋の上から敵を討つ  天秤櫓門(重文)から天守閣へ…
     闘いの時には、この橋を落として防御
   
 
 城内で5カ所の登り石垣と横堀りの組み合わせ…
横移動を封鎖する
 これは、朝鮮出兵の倭城の作り方
 石垣の上には漆喰の瓦塀がのっていたそうである。
 右の古い石垣:築城当時のままの【ごぼう積み】
左の新しい石垣:【落とし積み】石の目地が下方に落とし込む…江戸幕末の大修理で。
     
 本丸への最後の関門:太鼓門櫓…大きな鏡石 湖東流紋岩が無くなるとチャートや花崗岩に   天守閣への60度の急な階段。平面を広く取る為
     
横長の天守:彦根藩のシンボルを町にアピール…花頭窓が沢山・隠し狭間・破風だらけ、3階の高欄  彦根城の縄張り図
内堀・中堀・外堀と善利川(芹川)
 
 京橋口門の櫓門の内側に雁木(がんぎ)  多くの城兵が一度に多聞櫓に上がれる工夫
     
丸い 内堀…鉢(石垣)巻と腰(土)巻は武田のやり方 内堀の外側は重臣の屋敷エリア  蕎麦研究グループのため、城外で伊吹蕎麦の外食をさせて頂きました。先生のフィールドワークは本来弁当持ちだそうです。
     
 佐和口多門櫓 【隠し狭間は城の威厳を示す】  馬屋:城内に現存するのはこの城のみ(重文指定)  本来の大手門橋は南の大手門がある所だそうです
     
 西丸三重櫓を防御する高石垣   水手御門:米蔵が17棟あった。門から松原内湖に直結。
 今は梅林。彦根藩30万石、幕府預かり5万石。
大手門橋で記念撮影
    *今から400年以上も前に、20年の歳月を費やして築城されたが、一度も戦いをしていない名誉な城。
*工期短縮のために、小谷城・大津城や佐和山城など材料を再利用しているから、さらに以前の戦国の歴史を重ねている。
*戦後、廃城を免れた2つの奇跡、①明治6年、明治天皇御幸があり、同行の大隈重信が消失を惜しみ、天皇に保存を申し入れ、皇室付属地となった。
    ②連合軍が夜間襲撃する予定の8月15日正午に終戦となった
*様々な歴史をくぐり抜けた、人々の力の結集財産=城郭と景観を永く遺して欲しいと思います。

 中井均先生の講義は、残念ながら、これで終了です。今後も、先生は各地で活躍されているので、先生のフォーラムなどに是非参加していきたいと思います。
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