課題学習進捗報告

忍びの4人衆

【活動の目的】
『江戸末期に起こった近江天保一揆に学び、その歴史を後世に伝えていくこと』

【活動の記録】
10月15日(火) 
 天保義民慰霊祭(JA甲賀主催)に参列した。
  於:湖南市三雲 伝芳山 天保義民碑

 明治31年に甲賀郡内有志が寄りあい建立した。
 毎年10月15日、遺族を囲んで追善の祭典が執行されていた。コロナのため中止されていたが、今年度は開催された。
  

天保義民祭(土川平兵衛顕彰会主催)に参列した。
  義民祭には遺族をはじめ、地域の区民や顕彰会の会員が多く参列していた。
  近くの三上小学校の6年生も参列し、天保義民への思いを込めて、献花台に菊花を供えていた。
 


10月25日(金)
 近江天保一揆の映画「天保義民、土に生きる」のDVDを鑑賞した。(基礎講座後)
 鑑賞後感想を話し合った。この映画は目測で丈量(じょうりょう=測量)しようとした幕府勘定方、検地役人の市野茂三郎に対し実測を要請した小篠原村の 沢口丈助一家がデフォルメされた作品だった。
 この映画を観て、疑問な点などを話し合うことにし、関連する地を視察することにした。


11月1日(金)
 午前のクラス活動で一揆前の時代背景などを話し合った。(介護研修室)
 午後、野洲方面のゆかりの地を視察した。
   三上山天保義民碑・保民祠(ほみんほこら)・土川平兵衛辞世の句碑→
    このほこらは明治28年に造られ、毎年遺徳をたたえる慰霊祭が行われている。

  

 →三上藩陣屋跡・大庄屋跡→三上小学校・土川平兵衛像→土川平兵衛の墓→

 三上小学校には土川平兵衛の石像があり、6年生は毎年慰霊祭に参列し、総合的な学習の時間を中心に一揆について学んでいる。


  首謀者土川平兵衛の墓は昭和57年天保義民140年を記念して建立された。


 →三上の野洲川集合地
   三上山を臨む野洲川の川原に一揆衆は集結し、鬨の声をあげた。



11月10日(日)
三上山登山・姥の懐(うばのふところ)
 市野茂三郎が村人の助けを借りて逃げ込み隠れた山頂近くにある姥の懐といわれる洞窟を視察に行った。標識はあったものの倒木に覆われ洞窟は見つけられなかった。危険注意の看板があった。
 土地勘のあるものにしか踏み込めなかったにちがいない険しい岩山だった。




   御神神社頂上 奥宮にて

立光寺(りゅうこうじ)
 土川平兵衛と親しかった、戸田村(現守山市立田町)庄屋、鵜飼彦四郎の計らいで旧野洲郡周辺の庄屋会議が行なわれ、一揆の計画を立てた場所で、鵜飼彦四郎の記念碑がある。
  

湖南市川原(湖南市菩提寺)
 石部一揆衆が野洲川を渡ったとされる亀が淵と呼ばれる今の中郡橋あたりに行った。
石部旧東海道を散策
 食事がふるまわれたであろう小島本陣・三大寺本陣に行った。


11月12日(火) 近江の城校外学習(甲賀の城)終了後
甲賀市の一揆関連地の視察をした。
  大徳寺(だいとくじ)の義民供養五輪塔(水口町)→

 大徳寺の五輪塔は一揆2年後の1844年に水口藩藩主の聴許を得て義金により建てられた。一揆の後、最も早く建てられた供養塔である。


→西徳寺の黄瀬文吉一族の墓→西願寺の田嶋治兵衛の碑(甲南町)→

    土川平兵衛とともに一揆を首謀した庄屋たちの慰霊碑が造られていた。
 

→勢田寺(せいでんじ)の西浦久兵衛の碑→


 矢川神社・矢川寺の鐘楼跡(甲南甲賀一揆衆集合の地)
   甲賀甲南の一揆衆が矢川寺(矢川神社の中にあった)の鐘楼の音を合図に参道周辺に集まった。


→天保義民メモリアルパーク→

 平成3年に天保義民150年の記念事業で造られた。
 矢川橋のたもと、矢川神社の向かいに設置されている。

→峯の堂(工事中後日視察)→田中安右衛門の別れの一本松

 京都奉行所の役人に連行される時、肉親や村人たちが泣きながら後に続いたが、この一本松まで来たところで、役人は「情けはここまで。これ以上後を追うことは許さない」と告げ、安右衛門に縄を打ち、素足にして引き立てた。
 村人たちは安右衛門の草履だけが残されたこの地に伏し、消えゆく庄屋の姿を追いながら、土をつかんで号泣した。という逸話が残っている。松は枯れた後に植えられた若い松だった。


11月15日(金)
 基礎講座の終了後
  視察したところの振り返り、一揆の疑問点等話し合った。
  なぜ一揆が起こったのか? 首謀者の決意は?農民の奮起は?
  幕府はどうして近江の地を選んだのか?一揆衆の団結・情報網は?
  諸藩は一揆に目をつむっていたのか?などがテーマとなった。


11月19日(火)
 近江の城校外学習(小谷城)終了後・・・米原交流館
  担当を決めた。 
      ・あらすじ
      ・時代背景
      ・各藩の関わり
      ・近江の特色など
      ・一揆首謀者の心情

12月5日(木)・・・水口町まるーむ
 午前・・・各担当の資料を持ち寄り話し合いをした。
      ・あらすじ・・・集約
      ・なぜ検地を近江で始めたのか 時代背景
      ・検地から一揆に走る要因 決意
      ・近江南部の特徴 甲賀衆の特色 陽明学
      ・一揆の成功について 各藩の対応など
 午後・・・湖南市のゆかりの地を視察した。
 三雲伝芳山(でんぽうざん) 天保義民の碑(湖南市)→常夜灯(湖南市)→


 伝芳とは義民への後世に残る名誉・業績を伝えるという意味。
 明治31年に建立された。高さ約10mの人工石で作られている。
 一揆衆の集合地であった横田川原を一望できる地に建てられており、毎年慰霊祭が行われている。小学生が参列したこともあった。

 →峯の堂の田中安右衛門の記念碑→
  別れの一本松の逸話の主人公の記念碑。


 →杣街道(一揆衆の歩いた道)を甲南町から
  石部町へ約17kmをドライブした。→

 →常夜灯(水口町)・水口の一揆衆が集合した川原の白岩(横田の渡し)へ行った。

 

 終了後 コミュニケーションを計った。

12月10日(火)
 近江の城校外学習(彦根城)終了後・・・彦根平和堂COZYTOWN
   各担当の進捗状況などを確認した。



12月17日(火)
 近江の城発表会(介護研修室)終了後
  各担当の進捗状況などを話し合った。
   ・あらすじ集約後の読み合わせ
   ・登場人物挿絵・一揆行程図
   ・時代背景の読み合わせなど


1月24日(金)
 地域体験活動発表・ランチ会後・・・長寿福祉センター
   担当内容の再構成・近江の特徴の検討をした。
   報告書ページ割の検討をした。
   


1月31日(金)クラス活動  
 あらすじのチェックや時代背景のチェックをした。


2月14日(金)水口町まるーむ
 中間報告のための記録(HP用)の作成をした。
 修正再確認の後広報に送信することになった。