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                 レイカディア大学 草津キャンパス               

地域文化学科44期へようこそ

【中井講座のページ】

校外学習、彦根城


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<彦根城の見学>

見学日   2023年11月28日(火)
場所     彦根城
天候     曇り時々雨、過去の校外学習は晴れでしたが、今回、初めて雨が降りました。
集合    午前10時15分 彦根城表門橋


1.本日のフィールドワーク概要
小谷城、安土城と中井先生のフィールドワークを受けてきましたが、戦国の城の到達点として今回の彦根城の校外学習が行われました
天下普請として築城された山城(平山城)であり、支配者の権威を示す城でした。
土の城から石の城への進歩の中で登り石垣、竪堀、山切ぎし、堀切など、様々な城の防御機能がよく理解できました。

2.見学の様子
 それでは以下、写真と共に見学、解説の内容を紹介します。

 彦根城全図(文字をクリックしてください) ⇒ 彦根城全図

 今回も筆者の聞き間違い、理解の誤り、知識の浅さなどがあり、正しい表現で中井先生のご説明を紹介できていないかもしれません。
 その点について皆さんからご指摘をいただきたいと思います。よろしくお願いします。

見学場所  見学の様子  備考
集合場所
集合場所、表門橋横
彦根城見学の玄関となる場所です

 
 
表御門周辺 <内堀の石垣>
 内堀の周囲に石垣があります。この石垣は、
堀の水で土塁が崩れないように基礎となる腰巻石垣と、土塁の上にさらに石垣を積み櫓なども建てることができる鉢巻石垣で構成されています。これらの石垣は現在、彦根城江戸城にしか見られない珍しいものだそうです
  

<表御殿>
 表橋の左にある御殿です。今は彦根城博物館となっています
   

<登り石垣>
 表門橋を渡り、券売所に行くまでの左側(表御殿の正面)山の斜面に登り石垣があります。通常、等高線と水平に石垣を構築しますが、登り石垣は水平ではありません
 過去、何度か彦根城に来場しましたが登り石垣は目に入らず、中井先生からの説明を聞き、そのすごさを初めて知りました。
 彦根城には、この登り石垣が五本現存しているとのこと
   

 この登り石垣、秀吉の朝鮮出兵時、倭城に倣って作られたものとのことです

<山切岸>
 彦根城は彦根山に建てられましたが、山の周囲を垂直に削り要害化(山切岸)しています。高いところで18mも切っているとのこと。場内を見学していると、この山切岸がいたるところで見つかります。この内容も中井先生に聞くまで全く知りませんでした。

 
天秤櫓、鐘の丸周辺 <天秤櫓の石垣>
 券売所を通り表門山道の階段を上ったところに廊下橋と天秤櫓の石垣が見えます。
 この周辺、山を削って大堀切にしているということです。

 廊下橋は何度か架け替えているとのこと。現在の柱の右には少し黒くなっている部分(下の右の写真)が、昔この部分に脚がかかっていたということです
 
   

 石垣は谷積み、この下の写真中、右側の石垣が少し黒くなっていますが、この部分は当時のままとのこと
 比較的きれいな部分はその後、修復されている部分です
  

<大堀切の周辺>
 天秤櫓の下、大堀切面を歩きました。この辺りから雨が降り、皆さん傘をさしての学習となりました。

   

<鐘の丸>
 築城当時、鐘楼があったため鐘の丸と称したと説明版
 謎の穴があり、佐和山城までつながっていたとの伝説があるそうです。真偽のほどは???
  

<天秤櫓>
 鐘の丸位置から見た天秤櫓、屋根の形が左右対象ではありません。
 

<天秤櫓内>
 天秤櫓はいろんな場所から柱などを移築し、建てられたとのこと。どこから移築されたのかまで分からないそうです。
 写真右、壁の厚みがその上に比べて厚くなっています。鉄砲の玉などが貫通しないように厚くしているとのこと。
 また、この場所で隠し狭間の説明を受けました。城の美しさを外観上保つため狭間を隠したとのことです。
  

 
太鼓櫓、本丸の周辺 <太鼓櫓>
 太鼓門入口前の石垣、その中に非常に大きな石があります。これも権威の象徴
 荒神山で採掘された湖東流紋岩が使われているとのことです(写真右参照)。
   
 
 太鼓櫓裏側に廊下があります。通常、櫓には廊下などがなく、非常に珍しい(日本の城ではここだけ)とのことです。
 

<本丸、天守閣>
 太鼓門をくぐると本丸です。
 天守閣前には礎石があり、この部分に御殿があったと推察されるとのこと
 本丸に入ったところで空に青さが戻ってきました

   

  
 
 天守閣は威風堂々とした姿であり、城下町にその正面を向けています。外の廊下は飾りであり、実際は通ることができません。
 藩主の権威を見せるための城となっているそうです

<天守閣の中>
 天守閣は狭いということもあり、自由見学でした。
   

<天守閣の石垣>
 天守閣北側の石垣、隅部(算木積み)がたいへん美しい形をしています。
 

 
西の丸周辺
三重櫓及び続櫓
井戸曲輪周辺
<西の丸>
 礎石がたくさん確認されました。この西の丸には多くの書物、文書を保管する蔵が建っていたそうです。
 

<三重櫓及び続櫓>
 天守も三重、この櫓も三重、天守と櫓がどちらも三重は珍しいとのこと。山崎櫓も三重であったことから、琵琶湖に向いている櫓を見せるために三重にしたのであろうとのこと。
 三重櫓の北側には大堀切があり、その上は石垣を積んだ出曲輪となっています
   
  
<井戸曲輪周辺(石垣)>
 本丸から井戸曲輪にかけて見学
 この周辺は石垣がたくさんの残っており、その高さ、大きさも見事と感じました。
 写真に映っている人と比べるとその大きさが分かりやすいのですが、写真だけではこの迫力を伝えきれないように思います。
  

  

 この石垣に使用されている石は宝篋印塔石(転用石)です。安土城ほど多くありませんが、彦根城でも転用石を利用しています。築城当時、この周辺にお寺が少なかった(それだけ田舎であった)ために転用石が少ないとのことです。
 
 
 
彦根城北側から西側周辺 <山切岸と登り石垣>
 彦根山を下り、平地に差し掛かったところ(黒御門周辺)からも山切岸と登り石垣を見ることができます。
 皆さんが歩いている山側は山(岩石)を削って人工的に崖(山切岸)を作っています。
   
 
 少し石垣は崩れていますが、ここも登り石垣、崩れた石垣が斜面の表面を覆っています。
  

<山崎御門跡>
 山崎御門は埋門(うずみもん)とのこと
 埋門とは、
城の石垣や土塀などの下の方を穴をあけるように抜いてつくった門のことをいうそうです。
 つまり、石垣の中に作った城門のことで防御性が非常に高く、裏口や非常口として用いられましたようです。
  

<登り石垣>
 登り石垣は5箇所現存していますが、ここの登り石垣が一番壮大とのことです。
 ところところで石垣が崩れているのがちょっと残念です。
  

<米蔵跡>
 現在は梅林ですが、当時は米蔵が並んでいたとのこと。
 内堀側に水門跡があり、ここから物資(主には米)を運んでいたのであろうとの推察
   

 
<大手御門周辺>
 大手御門近くにも山切岸と登り石垣がありました。

    
 
彦根城馬屋跡 彦根城表御門の近くに馬屋があります。城内に残る馬屋は彦根城のみで珍しい建物です。この馬屋には21頭の馬がつながれていたそうです。
   
 
 最後は馬屋の中で集合写真
 
 
 今まで何度かお城を訪れましたが、今回の中井先生からの解説を聞きながらのフィールドワークで城の見方が随分と変わった気がします。多分、皆さんもそのように思われたのではないかと思います。 
 他の城もこのような目で解説板の記載内容をじっくりと見、実物を正しく観察したいものです。

 貼付けていない写真の一部を以下、サムネイル形式で貼り付けます。



 次回は、甲賀のお城のフィールドワークです。
 
番外編 中井先生のフィールドワーク終了後、多くの方々は玄宮園を見学しました。
彦根城見学券に玄宮園入場券が含まれていたためですかね。

 写真をサムネイル形式で貼り付けます。

 
ひこにゃん 彦根といえばひこにゃん
玄宮園見学後、午後3時から表御殿でひこにゃんお目見えということで、少し待ってひこにゃんに会いに行ってきました。
とってもゆるかったです。
   

   

 
 



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