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地域文化学科44期へようこそ



クラス紹介 基礎講座 選択講座 地域活動 大学祭 親睦会 課題学習 その他

このページでは、  【選択講座】  を紹介しています。


民俗学あり、文学あり、城巡りあり、滋賀の各地で育まれた文化、歴史などについて学んでいます。

授業は草津キャンパスを中心にして彦根、伊吹山、豊鄕、高島と文化の背景となっている滋賀の地を実際に訪問し、その空気を感じながら学習しています。




1.粕渕先生の講座

滋賀県民俗学(※)の大家である粕渕先生から滋賀の民族について教わりました。
先生の幅広く奥行きの深い見識にクラス員は驚きながらも、興味を持って先生の講義を聴講していました。

※民俗学とは・・・・
「風俗や習慣、伝説、民謡、歌謡、生活用具、家屋など古くから民間で伝承されてきた有形、無形の民俗資料をもとに、人間の営みの中で伝承されてきた歴史的変遷を明らかにし、それを通じて現在の生活文化を相対的に説明しようとする学問である。」  出展:wikipedia


粕渕先生の講義の詳細(主に校外学習)はこちらをクリック 
 ⇒ 粕渕講座詳細へ


2022年10月~2023年1月 計7回 開催

開催日 テーマ 講義の内容 場所
2022年
10月11日
農書について学ぶ
 江戸期の農書を読む
民俗学って?1回目、滋賀県民俗学の立ち上げから天然痘、コレラへの対処がコロナの対処と同じで現在へつながるのね(^_^)v
       
草津キャンパス
介護研修室

10月25日
近江の農書について学ぶ
「製茶図解」を読む
滋賀県の農書「製茶図解」「蚕飼」などを紹介
また、日本農業全集から鯨油、特産物、農具等書物の概略をお勉強
初めての彦根キャンパス! 皆さん、迷子にならずに着きました
      
彦根キャンパス

11月8日
11月22日
民俗学資料収集の方法

「伊吹山文化資料館」見学
伊吹山資料館に出向き、伊吹山地域の民族について実物を見ながら学習

<講義の概略>
・11月8日分
 主には農書「製茶図解」を読むこと
 茶の種子まきから刈取りまでと製茶の方法、保存までの系統だった図解、野良着や道具の変遷、時代背景など、昔を偲んでの楽しい講義でした。

・11月22日分
 先生の話はなるほどと感じることができ、とても身近に感じます。
 蚕、生糸、糸車、毛羽取り機、炭焼き、旅道具など、時代背景とともに楽しく知ることができました。


 
伊吹山文化資料館

11月29日
民俗学資料の収集方法

彦根東高校及び滋賀大学経済学部附属史料館の見学
彦根東高校に残された遺構、滋賀大学(前身:彦根商高)に残された歴史的史料を見学しながら学習

<講義の概略>
 彦根東高校では、大正天皇の行幸足跡、平瀬作五郎の功績などを教わりました。
 滋賀大学の史料館では、民俗資料の紹介があり、升にも歴史を伺うことができました。

 実際の史料を観ながら、講義を聴くと興味が湧き、とても楽しく感じます。彦根は素晴らしい街と再認識できました。


 
彦根東高校
滋賀大学経済学部

12月13日
調査発表会

 
 粕渕先生から学んだ民俗学に関連して、自身でテーマを選択し、それについて勉強した結果を各自で発表しました。

 
草津キャンパス
介護研修室
2023年
1月10日
学習のまとめ  民俗学最終日(7回目)で最後の彦根キャンパス、調査報告会の各自への丁寧な講評(タイムキーパー爆睡(´Д`)) 薬箪笥のような引出しの多さに驚愕

民俗学ありがとうございました


 
 彦根キャンパス

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2.西本先生の講座

近江が舞台となっている文学に触れて、近江の風土や歴史を知り、この地域の良さを再認識することがこの講義の目的とのこと。
西本梛枝先生は滋賀の生まれ、在住ではないとのことですが、滋賀の良さをたくさんご存じです。
このページでは草津キャンパスでの西本先生の講義の様子を紹介しています。

校外学習の様子(詳細)はこちらをクリックしてご覧ください。 ⇒ 西本講座

2023年1月31日~4月18日まで 合計6回               

開催日 テーマ 講義の内容 場所
2023年
1月31日
近江の文学的風土

近江が登場する文学作品
🔷近江と文学について
近江関連の文学作品を素材にして、近江の風土を知り、近江の良さに気づく。
併せて<本そのもの>の楽しさに触れることを目的に全6日間校外学習2回で講義が進みます。
最後は学習のまとめ(発表会)もあるぞ(汗)

西本先生の穏やかなお話に近江の文学作品に誘われ、船を漕ぎながら夢の世界へも誘われ(💤)いまだに睡眠学習実践中



  

数々の作者、作品を紹介していただきました。
皆さん、作品探しの開始です。

草津キャンパス
介護研修室

2月14日
 
城山三郎
「一歩の距離」



 
舞台は大津海軍航空隊(現自衛隊大津駐屯地)

20世紀は陸海の戦いから空を中心とする戦争となり、日本劣勢の中、少年特攻隊員養成を目的として人権を無視するような訓練が大津海軍航空隊で行われていた。終戦でそれまでの価値観が無となった少年の心の動きを描いている作品です。

私たちの幸福感を改めて問い直す書物に触れることができました。

  

       
草津キャンパス
介護研修室
 
獅子文六
「但馬太郎治伝」


 
近江豊鄕にルーツを持つ実在の人物をモデルにして描かれた作品

大正から昭和にかけて近江豊鄕にルールをもつ大富豪をモデルとして主人公の但馬太郎治が描かれています。この主人公は日本よりもフランスで名を馳せた人物であり、桁違いにお金を使ったそうです。
実録薩摩次郎八の因縁の土地であり、近江商人の輩出地でもある豊鄕での校外学習に期待が膨らみました。


  
2023年
3月7日  
但馬太郎治こと薩摩次郎八ゆかりの地豊郷を歩く 今日は西本講座、最初の校外学習です。天気は快晴、絶好の校外学習日和です。
2月14日に学んだ但馬太郎治に因んだ豊郷を訪問し、近江商人の「すごさ」を学習しました。

先人を偲ぶ館>
近江鉄道・豊郷駅からあるいて約10分で豪商・近江商人を紹介した「先人の館」に到着、館長さんの説明を聞きながら当時の近江商人の全国での活躍ぶりを目の当たりにしました。

  

  

 館内展示物の中 に薩摩次郎八がフランスから授与された勲章もありました。

 豊郷町  
 <旧豊郷小学校群>
 次は、豊郷町先人の一人、古川哲治郎が寄贈し建築された旧豊郷小学校へ。
ヴォーリス設計で、当時「東洋一の小学校」といわれたほど立派な小学校であったとのこと。

   

  

歴史的価値がある建造物である一方、「軽音楽の聖地」としても全国的に名を馳せています。

 <伊藤忠兵衛記念館>
最後に大手商社である伊藤忠、丸紅の創始者である伊藤忠兵衛宅を訪問しました。
この記念館では、繊維卸業から総合商社への道を拓いたその足跡を紹介しています。

  

 

今回の校外学習では、滋賀の地域文化の一部を形成した近江商人について学びました。
事前にその内容を学習し、実際に現地を訪問すると、興味も湧き、知識も入りやすいことを実感した次第です。

 同3月28日 
童門冬二
「小説 中江藤樹」
近江聖人 中江藤樹の歩んだ生涯を描いた作品の紹介です。
江戸時代初期の儒学者で現在の高島市安曇川町上小川に生まれました。8歳のころには大坂夏の陣で武士の時代が終わり、これからは武士が学問を収めることが大事と学問を始めました。
41歳で亡くなるまでには藤樹心学という「孝行、致良知、五事をただす、知行合一」など「心」を重視した.独自の考え方を確立しました。この考え方を全国に広めたとのことです。


  

    
草津キャンパス介護研修室 
徳永真一郎
「甲賀燃ゆ」
徳永は香川県に生まれましたが、先祖が近江の人で滋賀を舞台にした歴史小説を数多く書いています。
この小説は、1842年(天保13年)甲賀、野洲、栗太の農民たちが決起し三上山の麓で決着した一揆の経緯を書いた歴史小説です。財政が行き詰まり賄賂が横行したり不正な検地をする幕府に対し庄屋たちが立ち上がりました。彼らの根底には中江藤樹の「人間皆平等」という考えありました。
史実であるため、各所の石碑などが建てられ、現在も事実が語られているとのことです。

   

野洲市ホームページでは、郷土の偉人として近江国天保一揆の指導者であった土川平兵衛を崇めています。以下のリンク先を参考にしてください。。

三上騒動(近江天保一揆)関連記事 ⇒ 土川平兵衛偉人伝リンク

2023年
4月4日
 
高島城下町と藤樹の里の訪問 今日は、西本講座2回目の校外学習日で、中江藤樹のふるさとである高島市を訪問しました。
天気は快晴、しかも桜が満開、絶好の散策日和です。

<高島城下町、乙女が池周辺の散策>
午前は高島城下の商家、武家屋敷周辺、大溝城跡、乙女が池周辺をガイドさんの案内で散策
高島の歴史に触れながら散策を楽しみました。周辺の桜もたいへんきれいでした。

     
    

・大溝城天守台跡で集合写真
 

周辺の桜の風景

 

 高島市勝野
<中江藤樹のふるさと、安曇川>
午後は安曇川にある「藤樹の里」を訪問しました。
中江藤樹記念館、藤樹書院、藤樹のお墓、陽明園などを皆さんと共に見学しました。
記念館、書院では中江藤樹に関するいろんな逸話などを聴講した上で、展示物を見学しました。

  

  

・藤樹書院前で集合写真
 

藤樹書院には、その回りの小川に鯉が放たれ、花が飾られていました。中江藤樹の発案で行ったことが、今でも脈々と受け継がれていました。中江藤樹が今なおこの町の人に深く浸透している様子を窺い知ることができたように思います。

高島市安曇川
2023年
4月18日
 発表会

(西本講座最後の授業)




西本先生の最後の授業、滋賀の地を題材とした小説を読み、その地を訪れ、その感想を発表します

長い間憂鬱の種だった人、ワクワクしながら待った人、徹夜で準備した人、皆さんしっかり発表しました。それぞれ本を読み、その場に立ち、それぞれの思いを熱く発表しました。

西本先生の講評がもっと熱かった。

 

 

先生からの全体の講評をお聞きした後は、感謝の意を込めて色紙を送りました。

 



滋賀に関連する小説の解説、豊郷及び高島・安曇川への訪問など、楽しい時間を皆で共有できたことに感謝します。

西本先生 ありがとうございました。
草津キャンパス介護研修室

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3.滋賀県文化財保護課殿による講義
  
 滋賀県文化財保護課に勤務されている専門家から2023年5月9日と23日の合計2回、「坂本」をテーマにして講義が開催されました。
               

開催日 テーマ 講師  講義の内容 場所
2023年
5月9日
 
明智光秀と
坂本城
 
滋賀県
文化スポーツ部文化財保護課

松下浩先生
🔷滋賀県文化スポーツ部文化財保護課の松下浩さん
  「中世の坂本」 
 ・正長元年坂本の馬借が日本史上初の一揆を起こした
 ・京都~近江間の北國街道と湖上水運の要衝であった
 ・比叡山の山門と将軍は自身の地位を安定させる必要な関係であった
 ・信長の命で明智光秀は延暦寺を焼き討ちし、その功により志賀郡を拝領し坂本城  を築城する
 ・文献や発掘調査により石垣、土器、瓦、柱穴などを検出されたが坂本城跡を確定
  することはできない


 

穴太衆積みの定義は曖昧で、坂本近辺での石積みを総称して「穴太衆積み」と呼称しているとのこと、ちょっと残念な思い
草津キャンパス
介護研修室
 

井上優先生
🔷明智光秀は近江で生まれた?
 ・2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で注目された明智光秀の明智一族の菩提寺
  であり、光秀の供養塔や光秀の妻(煕子)の墓がある西教寺について説明を受ける
 ・「淡海温故録」などによると明智光秀の出自には、よく知られる美濃といわれている
  が、生まれた土地について述べた記述はなく、滋賀県多賀町佐目には明智光秀の
  出身伝説がある。


 

佐目十兵衛会のホームページを見つけました(簡単に見つかります)。井上先生の名前もでてきます。興味のある方は以下のサイトへアクセスしてみて下さい。

 ⇒  明智光秀近江出身説 佐目十兵衛会 (same-jubei.com)

2023年
5月23日 
 
坂本の史跡を訪ねる   文化財保護課
長谷川聡子先生
◆西教寺訪問

西教寺駐車場に集合し、長谷川聡子先生の説明で西教寺の本堂を見学する。

  

 

本堂には丈六の阿弥陀如来坐像(国の重要文化財)平安時代作などを拝する。
 

客殿(国の重要文化財)には狩野永徳が描いた襖絵が見事で、さらに小堀遠州作の庭園も見せて戴き、天台宗の古寺を堪能することができた。
 

 



その他
  

 西教寺
文化財保護課
清水一徳先生
◆日吉大社

日吉大社を清水一徳先生の説明を受け参拝する。
 

西本宮の楼門には軒下に神猿があり、神様のお使いで「魔が去る、何よりも勝る」と縁起のいいものとされてきた。
 

     

本殿などは日吉造り(ひえづくり)という独特の形で、床下にはかつて仏事を営んだ下段という部屋がある。神仏習合の最たるものであると思います。
 

 

 

東本宮なども丁寧に教えていただいた。
 

 



お疲れ様でした。

 日吉神社
 番外 講義終了後、日吉東照宮にも参拝しようということになり4名が集まりました。

だいたいの方向感覚で進んだため道を間違い、まっすぐ行けば200メートル程度の道のりを、急な坂が多い地元高校の回りをほぼ一周する道で東照宮に到着しました。

 

 

琵琶湖南湖を一望することができ、その眺めは最高でした。
 

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4.山本先生の講義

 6月から8月にかけて元東近江市史編纂室長の
山本一博先生のご登壇
 テーマは
『織田信長と近江の武将』、織田信長の近江侵攻前後の近江に関わる武将について解説していただきます。
また、その縁の地となる城跡を訪問し、近江に関わる戦国の歴史をより身近に感じることを狙いとしています。
 最終回の8月8日は、それぞれが学習した近江に関わる武将について発表することになっています。

 しっかりと近江の戦国武将を学び、地域文化の一端を理解したいと思います。
 
 校外学習など、撮影した写真の多くは以下のリンク先に貼り付けています。
  
  ⇒ 山本先生校外学習写真集

   開催日      テーマ                                講義の内容                              場所    
2023年
6月6日
 
信長侵攻前の
近江(午前)
<今回の学習範囲>
 永禄11年(1568)信長の近江侵攻から天正11年(1582)本能寺の変まで織田信長という嵐が
近江を駆け抜けました。この間、近江の武将たちがどのような行動をとったか、を学習します。
 織田信長の家臣となる武将、織田信長に最後まで抵抗する武将、それぞれの足跡を辿ります。

 また、先生からは講義の中で紹介する出来事、武将の行動を参考にして自分なりに学習調査した事項
を最後の発表会で披露したらどうかとの提案もありました。


 それでは講義内容の概略について以下に振り返ります。

~信長侵攻前の近江~

 宇多源氏の佐々木氏(近江八幡の佐々木に居住)佐々貴氏(本佐々木氏)との
保元・平治・治承・寿永・承久の様々な乱を経て佐々木氏が四家(大原、高島、六角、京極)
に分裂、
そこに六角氏と京極氏(京都の宿所が六角通と京極通)がいたのや
紆余曲折はあったにして、近江は長いこと佐々木さんが主でいたのね
京極さんの家臣から浅井さんも台頭してきたのや


 
草津キャンパス
用意周到
近江侵攻
(午後)
 信長に関する研究は、「信長公記(しんちょうこうき)」が基本資料になっているとのこと
 「信長公記」は家臣太田牛一の著作であり、足利義輝を将軍にするため上洛を始めたところ
(永禄11年、1568)から、本能寺の変で殺されるまで(天正10年、1582)の記録を慶長
年間(1596~1615)で完成させている。

~用意周到、近江侵攻~

 足利義昭を上洛させ、征夷大将軍に就けるため信長は、上洛用通路を確保する必要から美濃を平定し、
また、徳川とも同盟を結び、東方面からの憂い(今川、武田、上杉)を払拭させた。
 一方、通り道となる近江では、浅井に同意を得られたが、六角には自ら佐和山城に出向き、協力を
要請するものの、同意を得ることができず。信長は、無欠通過を諦め、実力突破という方法を選択する。
 以前から信長は六角家臣に対して切り崩し(自分への寝返り)を行っていた。

 永禄11年(1568年)9月7日、岐阜を出発し、11日には箕作城を陥落
 12日、佐々木承禎ら逃亡し、翌13日に観音寺城落城
 14日に義昭へ迎いの使者を送った
 10月14日、義昭・信長の上洛、18日義昭が征夷大将軍に就任 

 永禄9年8月にも幻の上洛計画はあった。六角が三好三人衆と通じており、近江の不穏が払拭
できなかったため断念された模様


同上
2023年
6月20日
危機一髪
千種越え
(午前)

~危機一髪、千草越え~

永禄13年(1570)4月信長は幕府軍として朝倉氏を攻め
越前金ヶ崎城で義弟 浅井長政の謀反を知り朽木を経て京へ退却

(金ヶ崎の退き口(のきぐち))

京から岐阜へ帰還するため、兵を配置、六角氏と交渉したが決裂、
浅井氏は八風街道沿いの鯰江城(+井元城?)に兵を入れ 信長の帰還を千種越えに誘い込んだ?

信長は、元亀元年(1570)5月千種越えで岐阜への帰還途上
善住坊に狙撃されたが難を逃れ、21日、無事岐阜へ到着した

善住坊は、天正9年(1573年)9月高島へ潜伏していたのを捕縛され
頸を鋸でひかれて処刑されたって(こわっ)

元亀争乱「元亀元年(1570年)〜天正元年(1573年)の間」
信長と反対勢力の攻防で浅井氏滅亡、六角氏没落


 



 

 

お昼ご飯 地元食材を使った地域おこしのお弁当1200円美味しくいただきました
ご馳走様でした


愛東
コミュニティセンター
城跡訪問
(午後)
PMからは校外学習

愛東コミュニティセンターから車で5分程度の距離(妹と書いてイモトと読む)にある鯰江城と井元城へ
・山本先生のスカイラインを先頭に7台で分乗して 鯰江町自治会館前の専修院さんの駐車場へ

 「鯰江城」
愛知川の河岸段丘を利用、自然の要害として築城された森備前守の城を六角氏の築城技術で補強
あちこちに「えっ、これ?」という土塁跡、暗渠跡を見学

専修院さんで大きな位牌と「殿さんの墓まいり」 鯰江氏の重臣 森備前守やそうです

 
 

 

 

 竹藪の中にも土塁があり、それをバックにして集合写真
(肝心の土塁が写っていませんでした。ゴメンナサイ)



・愛知川広場へ車で移動、河岸段丘と鯰江城の大きさを実感

 

井元城へ車で移動

「井元城」

地誌、地元伝承がなく一説には信長が鯰江城攻略した際の付城?

竹藪をトコトコ歩き、同じく段丘崖を利用した井元城へ本丸?の土塁と連なった二段に重ねた角馬出し
(かくうまだし)
全国的にも数少ない遺構やそうです

 

 

・コミュセンへ全員無事に帰還

山本先生、事務局の方、放浪癖もあるシニアの監視1日お疲れ様でした
全員参加で皆さん
1日お疲れ様でした

次は7月11日東近江市埋蔵文化財センターで「魚定」さんの1500円お弁当です

鯰江城跡



井元城跡
2023年
7月11日
 
有言実行
比叡山焼討
(午前)

7月11日(火)東近江市埋蔵文化財センター

  図書館、アリーナ(体育館)併設施設 駅から徒歩15分暑かったぁ〜

  講師 いつもの山本 一博先生

午前

・埋蔵文化財センター見学 重要なモノ以外は空調無しでっす(暑っ)

・「織田信長と近江の武将〜有言実行、比叡山焼き討ち」

滋賀の陣

建部一揆

伊庭の河原崎助右衛門

志村城攻略、小川氏降伏

比叡山焼き討ち

元亀4年夏 朝倉氏滅亡

天正元年夏 浅井氏滅亡

天正元年9月鯰江城落城 六角没落

 <東近江市埋蔵文化財センター>


<センター内見学(埋蔵品の見学)>
 

 

<講義の様子(比叡山の焼き討ち)>
 

 

 ・地域食材を使った《魚定》さんの1500円お弁当、ご馳走様でした。
  
おかずの種類が多いお弁当でした。


東近江市
埋蔵文化財
センター
志村城跡、
伊庭周辺
訪問
(午後)

午後

・志村城址・河原崎助右衛門顕彰碑 見学

志村城 670人討ち取る(見せしめ)

堀と考えられる「さかさ川」は西から東へ流れる

 志村城の状況をみて小川城降伏

伊庭は人質を差し出し恭順

人質の河原崎助右衛門は「領民の叛意なき旨と水源の確保を直訴し切腹」信長がその願いを
聞き届け、伊庭川が開発された


<志村城跡>
 

 

<伊庭周辺>

伊庭は人質を差し出し恭順

人質の河原崎助右衛門は「領民の叛意なき旨と水源の確保を直訴し切腹」
信長がその願いを聞き届け、伊庭川が開発された


 

 

 


志村城跡
伊庭周辺
2023年
7月25日
 
近江武将の
世渡り(午前)
<現地までの経路(近江鉄道利用)>

近江八幡からバス1時間710円の小旅行

 ・近江八幡南口から乗った人、案内どおり(ほりお眼科前)で乗った人総勢5人

 ・途中に「ガリ版伝承館」もあります

 ・日野駅で休憩(時間調整)もあり大はしゃぎ(運転手さん乗客の皆さんごめんなさい)

   

<近江日野商人ふるさと館「旧中山正吉邸」>
この日は休館日でしたが、レイカディア大学訪問ということで特別に開館していただいたようです。

 

 

 

<講義の様子(近江武将の世渡り)>
 山本先生最後の講義です。

〇午前

◇佐々木六角氏のその後

天正元年(1573年)9月鯰江城陥落、佐々木六角氏甲賀へ没落

天正3年〜10年 武田氏と関係深化、武田氏滅亡後、承禎は秀吉に仕える。

承禎の長子善治(義堯)は、足利義昭に従い備後鞆へ移動、天正15年末?帰京し豊臣家に従う

慶長3年(1598年)3月14日 佐々木承禎死去78歳

  慶長17年(1612年)10月22日 佐々木義堯死去 68歳

  酬恩庵(一休寺)京田辺市に両名の墓

  ア 佐々木承禎の孫定治は、徳川家康の斡旋で佐々木六角宗本家を継承し、加賀藩氏に支え、
    家系は明治まで存続

  イ 同承禎の次子 賢永は、関ケ原後家康に旗本2000石として仕える

・天和元年(1681年)相続なくお家断絶


◇京極氏のその後京極高次)

 ・小谷城で生まれ人質として信長のもとで成長し、信長の近習近江衆の一員として仕える

 ・本能寺の変後、京極家再興を目指し長浜城を攻撃、越前へ脱出

  女性の縁者のお陰?で大出世

  関ヶ原では大津城主として籠城

 ・若狭小浜藩8万5千石

  万治元年(1658年)讃岐丸亀6万石へ天封、明治まで存続


 ◇浅井氏のその後

 天正元年(1573)9月1日 浅井長政切腹、嫡男万福丸、貼り付け浅井家滅亡

 ・浅井氏の三姉妹

    茶々 豊臣秀吉側室

    初  京極高次正室

    江   ・天正12年(1584)佐治一成に12歳で嫁ぐ

     ・文禄元年(1592)豊臣秀勝に嫁ぎ完子さだこを産む

        ・文禄4年(1595)徳川秀忠に嫁ぐ

    五女和子まさこ後水尾天皇に嫁ぐ

    豊臣秀勝との一子完子は茶々に養育された後、関白九条幸家に嫁ぎ九条家の家系が
    大正天皇の皇后貞明皇后につながり現在の天皇家に浅井家の血が流れている

   ・佐々木六角氏の重臣 後藤高治
   ・浅井家重臣 磯野員昌
   ・佐々木六角氏重臣 蒲生氏

 

 

<食事準備までの時間を利用し日野商人について説明>
 多くの日野商人は薬の行商から財を成し、各地で醸造に従事し、日野の千両店と言われる小規模店舗を
数多く作った。同郷での組合を作り、旅籠(行商拠点)、馬借(物流)を共同利用したそうです。

 

<お昼ごはん>

◇鯛そうめん御前

 日野商人が最も楽しみしていた5月3日の日野祭りで振る舞われたそうです。
 日野とお料理が好きなおばちゃん達が心を込めて手づくりです(日野の伝統料理を継承する会)

 「鯛そうめん」に手作りのごま豆腐、白和え、季節のごはん、汁物、香の物の合計8品の御前です。



 

 


近江日野商人
ふるさと館
「旧中山正吉邸」
中野城
法雲寺
信楽院

訪問
午後>
◇中野城・法雲寺・信楽院(しんぎょういん)

 ・中野城 蒲生家三代の城から徒歩で法雲寺へ

 ・信楽院へ車で移動の際、クラス分裂の危機

  「しがらきいん」ですか、と電話すると切られるそうです(事務局アルアル)

  暑い中で自販機大活躍;若草清水で水浴びしたかったわ

 ・クラス合流後、蒲生氏郷銅像(おうちゃんのパパ関係銅像)

  「思いきや 人のゆくえぞ 定めなき わがふるさとを よそに見んとは」
  分禄の役出陣途上に武佐宿から詠んだ歌

〇中野城(蒲生定秀、賢秀、氏郷の三代の城)


 

 

〇法雲寺

 

 



〇信楽院

集合場所の思い違いで2ヵ所の駐車場でそれぞれを待っていました。少し時間のロス

 

 


<番外編> 
①日野の街並み




 

 

②蒲生氏郷公 銅像(公園)

  

 この銅像は会津若松から九州へ出兵する途中、武佐宿で宿泊した際の氏郷と言われています。
 強い望郷の念をこの立ち姿から伺うことができます。


中野城
法雲寺
信楽院
2023年
8月8日
 
発表会 山本先生の講義は7月25日で終了し、本日はいよいよ各自で調べたことを発表する日
発表が苦手な方、発表時間が長い方、綿密な資料を作成された方、いろんな発表があり、それは
それで良かったと思っています。
この日は4年ぶりに開催されたびわ湖花火大会と重複したため、帰宅時間を早めに取れるよう事前の
調整を行った上での開催となりました。


発表会の詳細写真は山本先生のページに掲載しています。
ここでは、その概要をお伝えしたいと思います。

<発表会準備>
 

<発表時の様子>
 発表者だけでなく、聴講者も結構、真剣に聞いています。


 

 

 

 


この資料はすごい。A3両面2ページにわたり、近江源氏佐々木氏の歴史がびっしりと記載されています。
この資料で佐々木氏の全体像が把握できる内容となっています。作者はベルさんです。


<先生からのご講評とお礼>
 発表会の最後、山本先生からご講評をいただきました。
 後日、そのご講評をまとめた資料もいただいています。

 私たちの感謝の意を示す色紙とお礼を申し上げ、発表会は無事、終了しました。


  



 月並みな言葉となりますが、山本先生ありがとうございました。
 授業はとっても楽しかったです。

 
     


5.中井先生の講義

いよいよ真打登場というところでしょうか、城郭に関しては全国でも有名な中井先生の登壇です。
当学科では城郭探訪クラブ員である方が多くおられ、これからの中井先生の講義を楽しみにしているのではないでしょうか。

開催日  テーマ  講義の内容  備考
2023年
9月5日 
近江の埋蔵
文化財事情 
午前<滋賀県埋蔵文化センター訪問>
学芸員の方から説明を受けながらセンター内を見学

センターは昭和55年に建設された。当時、「木」は水がないと長期保管できず、現在もその設備を利用。
現在は、PG(プロピレングリコール)処理から瞬間凍結処理となっている。

以下は埋蔵文化センター内を見学した際の様子です。

 
                             どこかでお見かけした顔ですが、さて誰でしょうか。


<玄関ホールでの展示物>
 

 

<作業場内>
 

・塩津港遺跡から発掘された木簡、将来の重要文化財候補とのこと
  

<最後はいつものように集合写真>


 
午後、中井先生の講義(草津キャンパス内、介護研修室)

①文化財の分類
 埋蔵文化財(遺跡) ⇒ 特別史跡、史跡
 有形文化財(建物) ⇒ 国宝、重要文化財
 無形文化財(人)  ⇒  同上
 民俗文化財(祭りなど)、庭は特別名勝、名勝

②歴史学
 考古学と文献史学に分類される。考古学はモノで研究し資料となり、文献史学は古文書(文字)
で史料となる。

③琵琶湖の遺跡
 湖底遺跡が多い、70箇所あり

④弥生時代
 縄文時代は獲物を平等分配していたが、弥生時代は、土地・コメの取り合い、戦争に発展

⑤王権
 「前方後円墳」建設には大和王権の許可が必要(形に意味がある)
 滋賀県には、荒神山古墳、安土瓢箪山古墳、膳所茶臼山古墳,雪野山古墳などが有名
 大和王権と強いかかわりがあったことが伺える。

 

 

 
       
       



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