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地域文化学科44期へようこそ


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このページでは、西本先生の講義の内、主に校外学習、発表会の様子を紹介しています。ごゆっくりと観覧して下さい。

1.西本講座

(1)豊郷町訪問

2023年3月7日、「但馬太郎治 こと薩摩次郎八ゆかりの地豊鄕を歩く」というテーマで滋賀県豊郷町を訪問しました。

天候は快晴、歩いて名所・旧跡を見学するには最適の天候でした。

ピクニック、いや遠足気分?で皆さん、当日の見学をとても楽しんでいました。

この章の青線囲みの写真はサムネイル形式で貼り付けられており、写真をクリックすると拡大して映ります。

開催日
テーマ
訪問先 見学の様子
2023年
3月7日

但馬太郎治 こと薩摩次郎八ゆかりの地豊鄕を歩く
  
訪問先の地図

とパンフレット

本日の行先ガイドです。
 
 
「先人を偲ぶ館」



  薩摩治兵衛

一代で巨万の富を築いた木綿王、「土地に惚れ、家業に惚れ、妻に惚れ、人より少し勉強せよ」は後々まで近江商人の家訓となった。


2月14日に学んだ獅子文六著「但馬太郎治伝」の父である薩摩治兵衛記念館から見学です。治兵衛は小学校を開校するにあたり寄付をするなど豊郷村に貢献が特に大きかったことにより記念館を建て功績を讃えられました。

近江鉄道・豊郷駅を皆で出発、歩いて10分程度で到着しました。
まずは先人を偲ぶ館から見学です。大正時代に建てられた旧豊郷小学校本館(国登録有形文化財)も隣接
「先人を偲ぶ館」では、薩摩次郎八がフランスから授与した勲章も飾っていました。
(写真は撮れず、残念)

偲ぶ館の隣にあるお寺、別名「四十九院」、周辺の地名にもなっています。
聖徳太子が建立した「49番目のお寺」がその名前の由来とか
 



「豊郷小学校旧校舎群」




小学校創設者
古川 哲治郎
丁稚奉公から二代目忠兵衛と共に伊藤忠、丸紅を支える人物となった。「国運の進展は国民教育の振興にある」と巨費を寄付し、豊郷小学校を建設した。


 


 
次は「先人を偲ぶ館」から歩いて約5分のところにあると豊郷小学校へ

豊郷町の先人、古川鉄次郎の「国運の進展は国民教育の振興にある」との考えで私財の2/3(数十億円)を寄贈。ウ‘ォーリスの設計により建築された小学校は「白亜の殿堂」「東洋一の小学校」といわれました。

ガイドさん3名で3班に分かれ、それぞれ親切な説明を受けながら見学しました。
 

丸紅株式会社新入社員研修会と同じ位置で記念写真

 豊郷小学校旧校舎群のリンク先はこちら ⇒ 豊郷小学校旧校舎群
 お昼ご飯 豊郷駅近くの仕出し屋さん(三羽鶴)でお昼ご飯をいただきました。



会話も弾み、おいしくお弁当をいただきました。皆さんの楽しそうな表情を写真で紹介します。

 
「伊藤忠兵衛記念館」



伊藤忠兵衛
当時貿易は海外商人を通していたが、直接貿易に乗り出した。流通システムの魁といえる人物、丸紅・伊藤忠の創設者


  
<伊藤忠兵衛記念館>

最後に、大手の商社である丸紅、伊藤忠の創始者である伊藤忠兵衛の記念館を訪問しました。

初代忠兵衛のみならず、夫人・八重さんの活躍も目覚ましかったとのこと。近江麻布の仕入れ、社員教育などに注力し、初代を協力にアシストしたとのことです。
 伊藤忠記念館リンク先はこちら ⇒ 伊藤忠兵衛記念館

この項は、予定に入っていない筆書の単独行動の記録です。

「江州音頭発祥のお寺」

「又十屋敷」


 
藤野喜兵衛
幕末に単身、北海道に渡り「又十」という商標で廻船業を経営した。業績は受け継がれ、缶詰工場として発展し、現在もあけぼの印の缶詰となっている。
近所にも名所が何ヶ所かあります。筆者は講義終了後、自身の興味から単独で以下の2ヶ所を訪問しました。

<江州音頭発祥の地(千樹寺)>
1500年代後半、再建された千樹寺で住職の根誉上人が境内で人形を並べ参拝の老若男女を集めて円陣をつくって手踊りしたのが江州音頭の始まると言われています。
<又十屋敷>
江戸時代後期の藤野喜兵衛旧宅

 他にも見所がたくさんあります。これらの情報は豊郷町観光協会をご覧ください。
 リンク先はこちらです ⇒ 豊郷町観光協会

   近江鉄道


  
豊郷まで近江鉄道を利用される方が多くいました。
筆者も高校生時代、ソフトテニスの試合で水口テニスコートに行く際に利用しましたが、それから約37年が経過。久しぶりの乗車となりました。

皆さんも遠足気分でその乗車を楽しんでいました。


また、切符を購入すると珍しく固切符でした。これも記念にとっておきます。


(2)高島市訪問

西本講座校外学習第二弾は「高島と安曇川の訪問」です。訪問日は2023年4月4日、快晴

高島では、大溝城とその城下町及び乙女ヶ池周辺を散策しました。安曇川では、「近江聖人」といわれている中江藤樹の里を訪問しました。

どちらもそれぞれの歴史観をたっぷりと味わえそうです。

この章も青線囲みの写真はサムネイル形式で貼り付けられており、写真をクリックすると拡大して映ります。

開催日
テーマ
訪問先 見学の様子
2023年
4月4日




高島城下町、乙女ヶ池周辺の散策







「萩乃露」の醸造元


<高島市高島城下町>

当日は、午前10時に高島ビレッジ(旧商家をカフェ、ごはん屋さん、お土産屋さんに改築した建物)駐車場に集合
天気は快晴、前回の豊郷町訪問時と同様、青空の下での散策となりました。

ガイドは御年87歳(もうすぐ米寿)の三宅さん、大溝藩武士の末裔(?)とのお話でした。



①商家から武家屋敷(陣屋)

高島ビレッジを出発し、細い通路を通り、町割り水路~大溝キリスト教会~勝安寺までのルートについて皆さんの散策状況を写真に収めました。途中、曳山の収納庫もありました。

有名な大溝陣屋総門は修復工事中で外観すら見ることができませんでした。残念
②大溝城跡

明智光秀の縄張り(設計)によって築城されたお城です。中江藤樹が生まれた(1608年)頃は、加藤光泰が城主でした。大溝城天守台跡にて皆さんで写真を撮りました。

  

③乙女ヶ池周辺
大溝の水辺を散策、皆さんそれぞれの楽しみ方で散策していました。

途中、万葉歌碑がありました。大溝は古来からの水陸交通の要衝であったことからこの地を詠んだ歌が6首もあるとのこと。この歌碑には以下の歌が詠まれていました。

 
「大船の 香取の海に 碇おろし 如何なる人か 物思はざらむ」
④桜
桜がちょうど良い時期でした。散策した通りでもほぼ満開、とてもきれいでした。

大溝の水辺周辺に関する詳細情報はこちらで ⇒ 大溝、水辺の景観
お昼ご飯



予定した時間を少し超過しましたが、集合場所に戻り、その近くのご飯屋さんでお昼ご飯をいただきました。

お昼ご飯終了後、車に分乗して安曇川へ

中江藤樹のふるさと
 「安曇川」




 


 
<安曇川訪問>

次は安曇川の「藤樹の里」を訪問、まずは中江藤樹記念館に入館しました。
なお、安曇川では小学校3年生の道徳の時間に藤樹先生に関する授業があるとお聞きしました。

①中江藤樹記念館
 記念館では、藤樹先生に関するあらましをビデオで紹介していただいた後に館内を見学しました。小説の中で記されていた書物、藤樹先生自身が書いた書物などが展示されており、当時の空気に触れた思いがしました。
②陽明園(中国式庭園)
 記念館に隣接する場所に王陽明に因んで陽明園がありました。
 ふるさと創生基金で建設されたと聞きました。
③藤樹神社
 記念館と同じ敷地に藤樹神社がありました。この神社の建立には、あの渋沢栄一も尽力したとのこと。
④藤樹書院
 藤樹先生が弟子に授業をした場所です。
 今でも藤樹先生の誕生日、一ヶ月遅れの命日には、お祭りや祭典が開かれているようです。
 敷地の一部に藤の木がありました。昔はもっと大きかったとのことです。
 門の前で集合写真、この門の前の小川に鯉が放たれ、ポプラの鉢が置かれていました。
 藤樹先生の教えが脈々と続いています。

   
 藤樹書院に関する詳細情報は右リンク先へ ⇒  藤樹書院ホームページへ

⑤その他
 散策中に見つけた町の人のちょっとした親切です。

  

 また、町のいたるところに藤の木がありました。

   

前回の豊郷町訪問も然り、今回の高島城下町、藤樹書院でも年配の方々がガイドとなり、親切・丁寧な解説をしながら、町並み、史跡などを紹介していただきました。その知識の深さに驚きながら、何年か先には私たちもこうやってガイドをすることになれば良いなあ、と思った次第です。
それにしてもこれだけ多くのことを覚え、かつ来訪者に情報をしっかりと伝えることができるか、少々不安です。

(3)発表会

西本講座最後のイベントである調査発表会。滋賀の地を題材とした小説を読み、その地を訪れるという内容です。
小説を読み、その地を訪問すると、小説で描かれている風景を実感することができ、小説に対する親近感が増加しました。
それぞれが感じたことを資料に記し、その思いを発表しました。

皆さんが読んだ小説、発表内容要旨、発表時の様子を以下のようにまとめました。

<発表会前の様子>

 

番号     ニックネーム                小説名と報告要旨     発表時の様子
 1  sho-san  「眼鏡」島崎藤村

三つの繋がり ①作者と自分の「出身地繋がり」 ②作品の舞台(石山寺周辺)
と自分の住まいの「場所繋がり」 ③作品に描かれた時期と元勤務先創業時期
(共に1893年5月)の「時期繋がり」
 2  きんちゃん 塞王の楯と大津城

穴太衆の絶対落ちない城と、どんな城でも落せる矛としての大砲を作る国友衆の
大津城の攻防を本の内容から当時の大津城の姿を調べるとともに、現在の楯と矛
を考えさせられた。
 3  マグロさん  芝木好子作「群青の湖」に触れて

 物語の舞台となったのが、近江八幡と湖北地域であったことから、主人公が近江
八幡へ嫁ぎ苦労した「旧家のしきたり」について調べ、染色へ織物を通じ群青表現
を求めた「奥琵琶湖」を訪ねました。
 4  キラさん  「一豊の妻」永井路子

 山之内一豊の妻である千代を主人公とした歴史小説です。同じ人物を司馬遼
太郎さんも「巧妙が辻」の中で描いており、そのキャラクターを比較してみました。 
長浜がその舞台となります。
 5  長等55会naoさん  「横光利一 ふるさと大津」

小学校、大学の大先輩である横光利一氏にまずは興味をもち、大津長等が何故
彼にとり大切な地であったのか彼の小説でその足跡をたどり自分にとってもふるさとで
ある長等の
再発見を試みた。

 6  さくらばあちゃん  「細川ガラシャ夫人」を読んで

 明智光秀の娘 玉子の坂本城での生い立ちと、細川忠興の夫人となり38歳で
最期を遂げるまでの、戦国時代を生き延びる厳しさゆえ、次第にキリスト教への信仰
を深めて行ったこと。
 7  コテヤンさん  水上勉著「桜守」を読んで

日本古来、固有種である里桜・山桜の研究と保護で有名な笹部新太郎の功績と
太平洋戦争と
戦後の高度成長期における自然破壊による固有種の激減を憂いた
思いを「北弥吉」という
桜守を通じて表現した小説に共感を覚えるに至った。

 8  ベルさん  「多くの文化人は近江の何に魅かれたのか-中間報告-」

 近江の尽きせぬ魅力、底知れぬ秘密について、水の国、山の国、石の国、街道と
峠の文化、信仰と祈りの文化、豊穣の地、祭礼と民俗行事の宝庫、渡来の文化
などの視点でまとめてみました。
 9  ミッチーJr.さん  「蓮如上人を助けた堅田衆」

 私は、浄土真宗の中興の祖といわれる蓮如上人と自宅近くの堅田とのつながりを
描いたこの本に新たな発見と歴史に感動し発表することにしました。
 10  あきちゃん  「かくれ里を訪ねて」

 秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなくほんのちょっと街道筋からそれたひっそりと
した真空地帯のことを白州正子は「かくれ里」と称している。「金勝山をめぐっての章に
栗東市の「金勝寺」「狛坂摩崖仏」が登場する。正子の足跡をたどり「かくれ里」の趣
を味わった。
 11  つかちゃん  「葉室麟 冬姫を呼んで」

 戦国の世は、男は刀や槍で戦ったが、女も心の刃を研いで女いくさをした。信長の
娘・冬姫はそういった戦乱の世を夫・蒲生氏郷と共にたくましく生き抜いた。
 12  Yoshiさん  ”絹と明察”(三島由紀夫)を読んで

 日本経済をある紡績会社で実際に起きた労働争議を借り日本的父性と欧米的
思想との葛藤を日本的なかっこ(絹)と西洋的な(明察)という形で描いた作品。発表
としては①経営手法の評価の変遷について及び②滋賀の観光資源(政策)の2点
について論じた。
 13  NAKAさん  街道を行く-比叡の諸道1 司馬遼太郎

街道を訪ねながら、そこの風景、建築物、人物、文化をいったものに、歴史の深い
洞察を加えて司馬遼太郎の考えを巧みな表現で述べている。少し難解な
ところもあ
るが、繰り返し読むと味わい深いものである。

 14  奈々右衛門さん  「一歩の距離」小説予科練 城山三郎

1.旧滋賀航空隊滑走路近辺の散策と滋賀に有った飛行場
2.馬郡中尉と父の想いで 幌筵島柏原北の台飛行場で
 若い予科練は死を恐れず飛行訓練に励み戦闘機乗りとしてお国の為に散っていく
悲惨な姿・・・父の戦争体験を重ね合わせて馬郡の遺書を拝見し大本営の人命
軽視を実感した。
<発表を聞いている皆さん>
発表している様子を皆さんが聞いています。眼差しが結構、真剣です。
 

 

   
 15  ミー坊さん  大津湖西地区の戦争関連史跡を訪ねて~「一歩の距離」読後紀行~

 大津湖西地区の戦争関連史跡を巡った。自宅前の皇子山運動公園の広大な
敷地は三井寺寺領、陸軍第九連隊陸軍少年飛行兵学校と変遷した。比叡山
山中に作られたカタパルト式飛行機発射台を現地調査しその位置をほぼ特定した。
 16  さっちゃん  「一歩の距離」から「あの時こんな事」へ

 「一歩の距離」同様、戦争の悲惨な記録として敗戦寺に妻と子三人と心中した
内倉中尉の二十七回忌に関係者により書かれた回顧録です。また上司で連隊長
であった父の敗戦寺の考えや行動を知る事ができました。
 17  住職さん  燃ゆる甲賀を読んで-天保義民の碑を現地に見て感じたこと-

 天保義民の碑を現地に見て感じたことー江戸時代の「天保飢饉」幕府倒壊の
引き金になる一揆。指導者の遺徳を偲ぶ義民の顕彰碑供養塔を現地に見て史実
を確認。事件が郷土で181年前に起きていたことを実感し、良い勉強を与えて
下さった西本先生にお礼申し上げたい。
 18  ヒコさん  「幻住庵記を読んで」

・幻住庵の道路案内が以前から気になっていたこと
・西本先生の授業で松尾芭蕉が居住しその状況が短文で書かれていると聞いたこと
・芭蕉君が教科書の偉人から近所に住んでいたあのおっちゃんに変身したこと
・ボチボチと大津、近江を知っていこうと思いました。
 19  I.Mさん  「ニコライ遭難」吉村昭

 大津で起きたロシア皇太子ニコライの遭難事件。著者の詳しい描写は臨場感に
あふれている。政府の圧力に屈せず法の正義を貫いた大審院長 児島の信念と
覚悟は見事である。
 20  こんぺいとうさん  司馬遼太郎「街道を行く」㉔-近江散歩-

 約60年前の紀行文。遼太郎がこよなく愛した近江から散歩は始まった。近江
には独特の創造者を輩出する風土があると。また環境の保全に関して現代に通じ
る警鐘を鳴らしていた事に感銘を受けた。
 21  ショーチャン  今村翔吾作 塞王の楯 序

 作家がテレビ対談で塞王の楯序文の解説で一乗谷の地名と朝倉義景の話をさ
れていた。私の生まれ育った所の話をされていて、この地名と朝倉義景は子供の頃
から地元の人から伝え聞いていたのでこの本を選びました。
 22  花さん  「櫻守」を読んで

・日本古来の桜の保全をした笹部先生の生き方に賛同したこと
・山桜を見る目が変わったこと
・日本の山桜に興味がわいたこと
 
 23  赤ちゃん  直木賞作家今村翔吾さんの「塞王の楯」を読んで

 「塞王の楯」は、大津市内の坂本地区を舞台にした石工集団「穴太衆」が
主人公で大津城等を舞台。その石工職人匡介と職人集団で鉄砲で攻める
北近江の鍛冶師国友衆の彦久郎と石垣を盾に守る穴太衆を取り上げています。
 24  いいちゃん  近江むかし話の中の「唐崎の一本松」

 昔 京の町の美しい女の子が感染病になり、琵琶湖に流され唐崎で助けられ、
松の木を植えてほしいと言って亡くなった。初代と二代目の松は枯死し、三代目
は半分枯死しているが名松に恥じない樹姿である。
 25  うのちゃん  「小説 中江藤樹」 童門冬二著

「近江聖人」と呼ばれた中江藤樹の一生を綴った作品。発表会では、小説の中で
語られた須卜なる人物像と藤樹の教えが地域の人々に浸透している様子を説明し
ました。この小説をを通じて「近江聖人」と呼ばれる由縁を実感しました。
 26  おうちゃん  「星と祭り」の観音の里を訪ねて

 若い頃に参拝した湖北の十一面観音さんの話がこの小説の主題になっていた事
で興味をもった。主人公が高校生の娘を琵琶湖のボート遭難事故で亡くした事と、
7年後に旅したエベレストの麓で満月を観たとき等に感じた無常感にひかれた。
<最後のご挨拶>

西本先生からの最後のご挨拶がありました。
本日の発表に対する講評は、後日一人ひとりにいただけるとのことでした。

受講者からは感謝の意を込めてコメント入り色紙をお贈りしました。

 

   

ありがとうございました


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